羽田空港にはかつて競馬場があった!? 現在では羽田盃に名を残すその存在

2024年04月16日(火) 10:35 15 95

かつて存在した羽田競馬場の様子(提供:地方競馬全国協会)

 成田空港と並び、日本の空を支える「羽田空港」。ピーク時には1、2分おきに離着陸が繰り返され、乗降客だけで1日13万人以上が利用する。人やモノが絶え間なく行き交う日本のハブともいえる羽田だが、かつてそこには競馬場があった。

 ルーツはいまから約100年前まで遡る。2001年に発行された『大井競馬のあゆみ―特別区競馬組合50年史』(特別区競馬組合発行)によれば、東京で最初の地方競馬として開かれたのが羽田競馬場。開設当初は大田区・蒲田にほど近い東糀谷にあった。1927年7月に最初の開催が行われたが、ほどなくして江東区洲崎に移転。しかし、新天地での競馬は大赤字に終わったことで、再び羽田の地に戻った。

 28年12月から再開された羽田競馬だったが、今度は地権者とのあいだで地代問題が起こる。また、競馬場が手狭になってきたこともあり、組合側でも移転計画が持ちあがった。そこで選ばれた場所こそ、現在の羽田空港・A滑走路のあたり。世界への渡航客でにぎわう第3ターミナルの付近には、かつて競馬場があったのだ。

 新・羽田競馬場は総面積約10万坪(=東京ドーム約7個分)で、1周1マイルの広い馬場を持ち、当時は「日本一の競馬場」ともいわれた。国営競馬の目黒、根岸の両競馬場をしのぐほどの賑わいを見せたというから驚き。売上も順調に伸び、34年には地方で全国一の売上規模を誇り盛況を見せたが、日中戦争の勃発にともなって37年限りで終止符。閉場後には一部が高射砲陣地になった。

 その後も当地で競馬が再開されることはなかった。31年に設置された東京飛行場は航空機のジェット化、大型化によって年々拡張。太平洋戦争の終戦後は東京国際空港(通称:羽田空港)と名を変え、ますます繁栄していった。10年には第3ターミナルが開業するなど周囲は様変わりしており、もちろん遺構は残っていない。

 だが大井競馬場の重賞競走には、その名をしっかりと残す。来週24日(水)に行われる羽田盃だ。今年からダートグレード競走に格上げされ、今年で69回の歴史を数える伝統の一戦が「羽田競馬」の存在を後世まで伝えている。

 羽田空港が国内外を結ぶように、羽田盃からも全国や世界へ飛躍する馬が出てくるだろうか。

関連情報

みんなのコメント

15
フィルタ

ニュースコメントを表示するには、『コメント非表示』のチェックを外してください。

ミュート・報告・コメント非表示の使い方
  • 非表示・報告をクリックし「このユーザーの投稿を常に表示しない」を選択することで特定のユーザーのコメントを非表示にすることができます。(ミュート機能)
  • ※ミュート機能により非表示となった投稿は完全に見えなくなります。このため表示件数が少なく表示される場合がございますのでご了承ください。なお、非表示にしたユーザーはマイページからご確認いただけます。
  • 非表示・報告をクリックし「このコメントを通報する」を選択することで運営会社に申告できます。
  • ※報告内容について、削除等の処置をお約束するものではありません。確認を行った結果、違反が認められない場合は削除などの措置は行わない場合もあります。なお、報告に対する個別の回答は行っておりません。
  • 『コメント非表示』にチェックを入れると、すべてのニュース記事においてコメント欄が非表示となります。
  • ※チェックを外すと再びコメント欄を見ることができます。
    ※ブラウザを切り替えた際に設定が引き継がれない場合がございます。

新着ニュース

競輪を手軽に楽しもう!netkeirin

ランキング

ニュースを探す