ダイナレターである。おおっ、と思ったあなた。完全に50代か60代でしょう。いいんです。きっとあなたは
ダイナレター、
ダイナカール、
ダイナガリバー、
ダイナカーペンターの冠名「ダイナ」の由来を解説できるはず。「ウマ娘」から入った若い競馬ファンにぜひ、説明してあげてください。迷惑がられるかもしれませんが…。
ということで、オールドファン同士で思いを共有しましょう。
ダイナレターが今の時代にいたら、凄いことになってないか?これです。どうですか。同意したくなるでしょう。
戦績が凄い。引退までに12勝を挙げたが、うちダートで10勝。オープンでの勝ち鞍と、その時の負担重量を挙げたい。当時ダートのG3
札幌記念(54キロ)、
神無月S(57キロ)、根岸S(58キロ)、
銀嶺S(60キロ)、
京葉S(61キロ)、
武蔵野S(62キロ)。どうですか。後半は凄まじい重量だが、それでも勝っている。
90年の
武蔵野S1着を最後に芝へと本格的に転身したのだが、これはダートでは重量を背負わされすぎて、もう出走できないという側面が大きかったように記憶する。何しろ当時は
JRAにダートの重賞が4鞍しかなかった。
帝王賞(大井)など一部、出走可能な地方のレースもあったが、今ほど頻繁ではない。さらに、海外でもそこそこ勝てる現代とは大違いだ。生まれてくるのが35年早かった。
そんな中、出色の強さだったのが89年根岸Sである。逃げ馬
インターシオカゼが飛ばしてハイペース。
ダイナレターは14頭中9番手とやや後方からレースを進め、直線で外に出すと末脚爆発。2着
ツクバセイフウに5馬身差をつける圧勝を演じた。
当時は11月に行われていた根岸S。これだけの勝ちっぷりを見せれば、翌年のフェブラリーSはもらった!となるのだが、悲しいかな、当時はフェブラリーSなどなかった。まだG3のフェブラリーハンデだった。
ダイナレターが今の時代にいたら、どれだけの白星を重ねたことか。
レモンポップのような戦績だったかもしれない。無念この上ないが、何とか種牡馬入りはして、重賞2勝
アスカクリチャンの母の父となって現代によみがえり、意地を見せた。その
アスカクリチャンはダートを1走しかせず、しかも惨敗(12着)というのも競馬の面白さだ。
ちなみに84年生まれのこの世代が冠名「ダイナ」を使用した最後の世代。85年生まれからは
サッカーボーイが出て、社台レースホースはイメージを一変した。
2025/1/29 9:00
競馬ゲームで存在を知ったけど、この馬だけその世代の中でトップクラスに強かった思い出。