2012年03月06日(火) 18:00 9 29
死亡したトウケイニセイ。09年10月に馬っこパーク・いわてにて(撮影:高橋正和)
イジノ NGkSGSQ
2012/3/6 19:41
本馬の事は晩年しか知らないのですがまさに公営馬屈指の名馬ですね。
引退後は有志の皆様に支えられその取っ掛かりを作られた生産者の田中氏。
一年ぐらい前からより人馬一体になったと思います。
戦績もですが馬の余生の在り方やその方法を今までとは違うアプローチで達成した功績は、
種牡馬として優秀な仔達を輩出するのと同じぐらい偉大な事ではないでしょうか。
今後、トウケイニセイのような余生を送れる馬達が数多く出てくることを期待します。
アルフィーサード KCmHJwg
2012/3/6 20:29
歴史に残る馬だった。脚もとの不安で岩手からは出られなかったけれど、その力を認めないものはいなかった。怪物という言葉が安くなかった時代の馬よ、安らかに。
ナルシスター GFkTFmE
2012/3/6 19:42
この馬をリアルタイムで知っている人が周りには少なくなりましたが自分の中では名馬中の名馬と記憶してます。 身体が丈夫なほうではなかったのにこの成績・そしてファンからも愛された馬。 安らかに。 そして底が見えない強さ一生忘れません。
ゴンからの手紙 ETNJJlA
2012/3/6 23:22
東日本大震災による津波でオーナーが被災してピンチだったと聞いてからまだ一年経ってません。
あれから、トウケイニセイ基金ができ、岩手の怪物として穏やかに暮らせていたのかなぁ。盛岡競馬場に現れたのは9月18日だったよね。
岩手の復興を見届けてからでも遅くなかったんではないかい、と思わずにはいられなかったけど、もし幸せだったと思ってくれていたらそれだけでいいです。
ありがとう。おやすみ。
2012/3/6 20:44
スイフトセイダイ、グレートホープの“SG時代”の次を担ったのが
無敵のトウケイニセイと唯一二度の土をつけたモリユウプリンス。
この4頭が東北の黄金時代を支えたといって過言ではない。
現代ほど競走馬ケアのノウハウが確立していない時代、
8歳で交流元年の南部杯3着は立派であるとともに、
あともう少し若ければ、と思わずにいられない。
種牡馬としては不遇だったが、終の棲家を得て平穏な余生を送れたのはなにより。
これからもトウケイニセイ記念の時期がくるたび、この馬のことを思い出すはず。
岩手競馬がこれからも続くよう、見守っていてほしいものだ。