2008年09月03日(水) 19:50
四十年以上も競馬放送に携わってきて、今更そんなことという気もするが、時折訪れる心境が面白い。まぐれ当たりでも、それで損をしなければそれでいいのだが、そんなものは当てにならない。ではどうするか、当然レース検討にいそしむ。文豪菊池寛は、これを合理性の追求と書いていた。
その日本競馬読本によると、まぐれ当たりなら結局はそれによって金を儲けたというだけの喜びにしかすぎない。それが研究の結果だとすると、金を儲けた以外に自分の合理性の追求が見事に効を奏したという金銭以上の大きな喜びがともなう。これが競馬ならでは味わうことのできない喜びなのであって、この喜びに終始するくらいなら、むしろ馬券で儲けようなどという了見を起こさずに、人それぞれの商売にいそしんで、その商売によって儲けることを考えるにしくはないと、実にごもっともだが、忘れがちな心得を記しているのだ。この合理性の追求の先にある勝ち馬の発見、これは、競馬のレースの大半が合理的に勝敗が決せられるものなのだという信念によって支えられている。だから、競馬は面白いもので無限の興味が潜んでいるともいえる。
さて、そこで応用編なのだが、どうやって合理性の追求をするかだ。一日にレースは12あるし、3場開催ならその3倍もある。とてもその場で処理できるものではない。やはり予習をしておかねばならない。それでも、何もかも全てを同じように検討できるものではないから、どうレースをセレクトするかが問題になる。最近訪れた心境を述べると、じっくり追求して比較的上等な回答が得られるのは、午前中のレースということになった。キャリアの浅い2歳戦は、全てに目が行き届くし、優劣の見分けのつけやすい3歳未勝利戦も、各馬の可能性は探りやすい。そこで、徹底的に午前中のレースの合理性を追求しておくのが、文豪の教えに応える方途なのだ。
バックナンバーを見る
このコラムをお気に入り登録する
お気に入り登録済み
お気に入りコラム登録完了
長岡一也「競馬白書」をお気に入り登録しました。
戻る
※コラム公開をいち早くお知らせします。※マイページ、メール、プッシュに対応。
長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。