週刊サラブレッドレーシングポスト

2002年08月21日(水) 00:00

 実際に行われてから2年以上が経過した今、その価値が改めて見直されているレースがある。

 週末にシカゴで行われた真夏のターフチャンピオン決定戦・G1アーリントンミリオンを制し、今季この路線における3つ目のG1をゲット。北米芝戦線の最強馬であることを決定づけたビートホロウは、英国からの移籍馬。欧州で走っていた時代にもフランスのG1パリ大賞典制覇の実績があったが、英国における彼のベストレースは、シンダーの3着に健闘した2000年の英国ダービーだった。

 一週間前の週末、ドーヴィルのG3ゴントービロン賞で今季初めて欧州の競馬場に姿を現した昨年の世界王者サーキーは、その2000年の英国ダービー2着馬。

 そしてそのゴントービロン賞でサーキーを破る番狂わせを演じたウェルビーイングは、同じ一昨年のダービーの5着馬なのだ。

 更に、2年前のそのダービーで4着に入っていたのが、5月にロンシャンでG1イスパーン賞を制し、先週日曜日にドーヴィルで行われたG1ジャックルマロワ賞でも果敢に逃げて、バンクスヒルの3着となったベストオヴザベスツだったのである。

 この年のダービー馬シンダーは早々に引退し、既に初年度産駒がこの春生まれているが、改めてその存在がクローズアップされている。

 それと同時に、2000年の英国ダービーが高い能力を持った馬たちによって争われたことが、2年後の今、証明されていると言って良いだろう。

 近代競馬はスタミナよりもスピードが重視され、同時に、高額な賞金がかかった国際競走が各国で創設されたりして、近年は英国ダービーというレースの権威低下が囁かれている。一部では、ダービーの距離を2000mメートルに短縮したらどうかなどという議論も出ているほどだ。だが2000年の英国ダービー上位馬の頑張りは、このレースがまだまだ能力検定競走として充分に機能していることを示している言えよう。

 ダービーの権威と伝統は、創設から200年以上が経過した今も、脈々と生き続けているのである。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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