いろいろな「競馬ウオッチャー」

2011年12月17日(土) 12:00

 平日の昼間だから空いていると思っていたのだが、行きつけの理容室は一杯で、漫画を読みながら待っている客もいた。待つことが勝ち馬予想と同じくらい苦手な私は馴染みの理容師に声もかけず、通りをさらに進んだ。川を越えた右手にもう一軒、洒落た店構えの理容室があった。価格表を見ると、カラーリングがカット込みで7000円台から。適正価格だし、入口の前がスロープになっていて車椅子でも入りやすくなっている心配りも気に入った。
「いらっしゃいませ」と迎えてくれた理容師は、「職業当てクイズ」をやったらバーテンダーから格闘家までいろいろな答えが出てきそうなガタイのいい男で、チャラチャラしていないところに好感が持てた。

 私は、シャドウゲイトとコスモバルクがワンツーフィニッシュを決めた2007年のシンガポール航空国際カップを取材したとき主催者にもらったロゴ入りのジャンパーを脱ぎ、彼に預けた。彼の表情が少し動いた。

 髪を洗い、どのくらいの長さにするか、どんな色味のカラーリングにするかを決めてから、その理容師が訊いた。
「あのジャンパーを着られていたということは……この近くにお住まいなのですか?」

 立ち入った質問になってはいけないと気を使ったがために、かえって妙な訊き方になったのだろう。案の定、彼――S山さんは競馬ファン、いや、元競馬ファンだった。

「ディープインパクトの引退と同時に、ぼくも馬券を引退したんです」

 と言うS山さんの年齢は30歳前後。ディープが引退したのが06年だから、彼は25歳ぐらいで馬券を引退したのか。もったいない。これからもっと痛い思いをして、金とは何か、数分後の未来とは何か、あのレースがスタートしてからゴールするまでの1分半と、今自分がオケラ街道で前をトボトボ歩くジジイを追い越すまでの1分半にどんな違いがあるのか……など、普通の生活をしていれば考えもしないことに思いをめぐらす機会を、嫌というほど得ることができただろうに(そんな機会、いらないか)。

 ここは私の自宅兼事務所から徒歩5、6分のところだ。以前、確かテレビ東京だったと思うのだが、オーナーが昔の食客よろしく若者を何人も預かって、カットの技術から接客マナーまで徹底的に叩き込み、理容コンテストにどんどん送り込む理容室のドキュメントを放送していた。店名は失念したが、そこもこのあたりだったはずだ。

「それ、うちです。ぼくも先日、番組に出させてもらいました」

 とS山さん。なるほど、どうりで理容師がみなきちんとネクタイをしていわるけだ。掃除の行き届いた店内から、客に対するもてなしの理念が伝わってくる。そのぶんここで働く彼らは厳しく鍛えられたはずだ。仕事やコンテストで忙しくなり、馬券どころじゃなくなったのも頷ける。
「ディープをきっかけに競馬を始めた人は多いけど、その逆のパターンの人もいるとはねえ」

 私が言うと、S山さんは苦笑した。

「いや、お金もつづかないんで」

「まあ、ディープのあとスターホースも出てないしね。ウオッカとか、ブエナビスタとか牝馬が頑張っているけど」

 という独り言のような私の言葉を受け、S山さんが鏡のなかの私を見た。

「ウオッカとダイワスカーレットの激戦、あれはよかったですねえ」

 あの2頭がハナ差の名勝負を繰りひろげたのは08年の天皇賞・秋だ。なんだS山さん、ディープが引退したあとも競馬を見ていたんだ。

 私が、翌週、三浦皇成騎手の結婚披露宴があるので、少しは身ぎれいにしようと髪を切りにきたと言うと、
「三浦騎手、デビューした年は武豊騎手の記録を破って華々しかったけど、なかなか大きいところを勝てませんね」

 08年にデビューした三浦騎手のその後も知っているということは、つまり、S山さんは今、「競馬ファン」というほどのめり込んではいないが、「競馬ウオッチャー」と言える程度には競馬を見ているわけだ。スマイルジャックのこともちゃんと知っていた。

 競馬談義をしながら鏡のなかの自分を見ると、ほぼイメージどおりの頭に仕上がりつつあった。前髪をもう少し短くしてくれと言おうとしたら、口をひらく前に、S山さんがハサミを縦に使って前髪を整えた。私の目の動きに気づいたのか、全体のバランスを見てそうしたのか。いずれにしてもたいしたものだ。それだけ「気」が読めるのなら、馬券で破滅することもないと思うが、まあ、買う買わないは私がとやかく言うことではない。

 S山さんのような「元馬券師、現ウオッチャー」は、かなり多いのではないか。

 競馬に関する雑文を書いている者として、彼らが「元ウオッチャー」にならないことを願うばかりだ。

 さて、ひと月近く前のことになるが、クリフジで1943年のダービーを史上最年少で勝った前田長吉・元騎手の兄の孫である前田貞直さんからメールが届いた。

 今春から靖国神社の遊就館で催されていた「スポーツと靖国神社 ―スポーツと共に生きた英霊たち―」という特別展で、1932年のロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技で金メダルを獲得した「バロン西」こと西竹一、東京巨人軍のエースだった沢村栄治らの遺品とともに、前田長吉が使っていた長靴や鞭、鉛チョッキなどが展示されていた。当初は5月までの予定だったが、震災の影響で10月23日まで開催が延長され、期間中10万人もの来場者があったという。

 そこで展示されていた長吉の遺品が、長吉の生家のある八戸に戻ってきたことを、貞直さんは教えてくれたのだ。

前田家当主・前田貞直氏宅で保管されている最年少ダービージョッキー・前田長吉の遺品
前田家当主・前田貞直氏宅で保管されている
最年少ダービージョッキー・前田長吉の遺品

 これは、貞直さんがメールに添付してくれた画像である。昨冬新築した家に、こうして長吉の遺品を保管する場所をつくったようだ。

 貞直さんも、馬券は買わないが競馬の動向をある程度チェックしている「競馬ウオッチャー」である。考えてみれば、これらの長靴や鉛チョッキを身につけて馬に乗っていた前田長吉も、今は天国からレースを眺める「競馬ウオッチャー」と言える。

 いろいろな人が、いろいろなところから競馬を見ている。

 馬券の売上げの推移だけでは測ることのできない、世間一般の「競馬に対する興味指数」とでも言うべきものを、私の肌はちゃんと感じとっているだろうか。机の前でじっとしているだけでは肌のセンサーが鈍くなる一方だろう。遊ばなきゃ。私にとって、全身の肌がヒリヒリする一番の遊びは、競馬だ。それじゃあ意味がないのかもしれないが、遊ぶ前に意味を考える真人間の文章が面白いわけがない。仕事場の窓から外を見ると、隣のマンションの外階段をカラスがピョンピョン昇り降りして遊んでいる。せめてあのカラスと同じくらい心にゆとりを持ちたい。さあ、朝日杯は何から買おうか。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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