馬の瞳を見つめて

2003年01月11日(土) 14:58

 今回は一冊の本を紹介したい。タイトルにも書いた「馬の瞳を見つめて」(桜桃書房)というノンフィクションである。

 著者は渡辺はるみさん。実は私の牧場の南隣に位置する渡辺牧場の奥さんなのだ。はるみさんは昭和42年生まれの36才。三重県生まれの愛知県育ち。岐阜大学農学部獣医学科2年生の時、夏休みを利用して訪れたアルバイト先がこの渡辺牧場だった。そこで馬の魅力にとりつかれた彼女は、翌年の春、大学を休学し馬のことをもっと知るために1年間の予定で再び渡辺牧場を訪れ、そのまま馬と離れ難くなってしまう。

 大学は中退という形を取り、ご主人の一馬さんと結婚。二男二女の母として現在に至る。と、おおよその経歴はこんなところだが、本書ははるみさんが馬の世界に飛び込んでから、その「生」と「死」に直面する過程で、競走馬の最期が実は「堵殺」という形で処理されることを知り、そのことに深く心を痛めるようになったことが綴られている。

 それではるみさんが決心したことは、「生産馬が競走生活(もしくはその後の乗馬生活)を引退した時には極力生まれ故郷の自分の牧場で引き取り、できるだけ幸せな余生を送らせよう」、そして「馬房や労働力などの制約からこれらの馬を処分しなければならなくなった時には自らの手で安楽死させよう」というものだった。

 一言で安楽死というが、はるみさんによれば、馬をなるべく苦しめぬようにとの配慮から、彼女が採用しているのは大量の麻酔薬で馬を眠らせてその後に筋弛緩剤を投与するという方法だそうだ。

 小学生の頃、飼っていた猫が行方不明となって、「ノイローゼ状態になるくらい落ち込んだ」というはるみさんは、動物の幸せをいつも最優先させて物事を考えてきたような愛護精神にあふれる人である。そんな彼女が「こうするより他に方法がない」と試行錯誤の末に決心した「生産馬の引き取り」は現在も続いている。当然、家族経営の牧場だから馬房数や放牧地の広さなどには限界がある。そのために、新しい馬が帰ってくることになったら、その分古い馬から安楽死されるという「馬の入れ替え」が行われる。

 と、文章で書いてしまうと簡単なようだが、これは実は大変なことだ。私の牧場に限らず、普通、生産牧場は繁殖牝馬が老齢やその他の理由から用途変更せざるを得なくなると、まず廃用馬専門の業者に引き取ってもらうことがほとんど。それらの馬たちは、ペットフードにされたり、肥育された後に馬肉業者に売られたりと、いずれにしても「堵殺」される運命に変わりがない。

 それを敢えて、渡辺牧場では、業者に引き取らせず、自らの手で安楽死させ、埋葬する。それも馬がなるべく苦しまぬような方法で。

 できることなら、すべての馬を生かし続けてやりたい、と彼女は考えているのだが、物理的にも経済的にもそれは不可能なことだということを熟知している。その馬を思う気持の強さと純粋さが本書には溢れている。

 確かに、隣人としての私から渡辺牧場を見ていると(といっても約500mくらいの距離があるのだが)、繁殖牝馬ではなさそうな馬(牝馬だが出産していない)がたくさん放牧されているのが分かる。

 また、競馬ファンに知名度の高いナイスネイチャの生産牧場でもある渡辺牧場は、種牡馬になっていたこの馬も引き取り、現在繋養中である。

 牝馬と違って牡馬(しかも種牡馬だったのだ)を管理するのは尋常の苦労ではないと思われるが、強い信念でこの馬の面倒を見続けている。

 ご主人はじめ、ご家族の理解と協力がなければ絶対不可能なこの仕事を、黙々と持続させる原動力は、ひとえに「愛馬精神」の強さだろう。

 本書は、はるみさんの日常や思いとともに、簡潔に生産牧場の仕事の内容にも触れられていて、得るところが大きい。写真も豊富で、おそらく彼女が撮影したものが多いのだろうがどれも味わい深い。

 定価1500円。帯には「優駿たちの蹄跡」のやまざき拓味氏も最大級の推薦文を書いている。

 牧場の暇な奥さんがミーハー根性丸出しで与太話を書いたのでは決してない。とにかく頭が下がるし、考えさせられる名著である。ご一読を勧めたい。(と紹介したが、表現力の不足から、どうにも書き足りていないなぁ。)

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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