武豊騎手が魅せた特別な一勝

2012年04月28日(土) 12:00

 東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故の影響で開催が中止されていた福島競馬場に、今年4月7日、1年5か月ぶりにファンファーレが鳴り響いた。

 その4月7日に開幕した開催は「福島復興祈念競馬」として8日間、つまり4週にわたって行われ、今週末、4月28日と29日で終了する。開幕週は、福島競馬の復活を待ち望んでいた人がドッと来場するだろうと早くから予想されていた。2週目もその勢いで人が集まり、ラストウィークの4週目はゴールデンウィークにかかるので、それなりに人出が見込めるだろう。問題は、起承転結の「転」にあたる3週目だった。21日には今開催初にして唯一の重賞、福島牝馬Sがあるので集客が期待できるが、もうワンパンチほしい……と関係者が思っていたところに、強力な助っ人が現れた。

 武豊騎手が、およそ6年ぶりに福島に参戦することになったのである。

 彼が福島牝馬Sでアカンサスに騎乗することが発表されたのは、この開催が始まる前のことだった(私が彼から聞いたのが日経賞が行われた3月24日だったので、その前に決まっていたことは確かだ)。言わずもがなかもしれないが、これは「まず騎乗依頼ありき」ではなく、彼が、福島に競馬が帰ってきた最初の開催で何とか騎乗したいと思って動いたから実現した騎乗であった。


第1レースのパドック

第1レースのパドック

 それを福島の人々も感じていたのだろう、21日は土曜日だというのに、武騎手が6年ぶりに登場する第1レースのパドックには、メインレースと見まがうほど多くのファンが集まっていた。

「どこですか?」「白い帽子だ」

 報道エリアで、そんなやりとりがなされていた。普段から競馬場に来ているわけではないテレビ局のクルーが武騎手の姿をとらえようとしていたのだ。

 伝える側にしてみると、やはり「目玉」と言える存在がいると集中力と緊張感が高まり、よりいいものをつくろうとするプロ意識が自然と表に出てくるものだ。そんな彼らと同じ空間にいて、同じ対象を追っていることを実感するのは心地よかった。

 第1レースで武騎手が騎乗したフラッシュパッカーは単勝1.4倍の圧倒的1番人気に支持されたが、追い込み及ばず2着に敗れた。

「ダッシュのいい馬ではないから、もう少し距離があったほうがいいでしょうね」

 と通常のレースコメントをしたあと、多くのファンが待っていたことについて訊ねられると、さらに口元を引き締めた。


アグネスマチュアで見事勝利

アグネスマチュアで見事勝利

「たくさんのお客さんが入ってくれてよかった。早くいっこ勝ちたいね」

 そう話した武騎手は第4レースの3歳未勝利戦をアグネスマチュアで鮮やかに差し切り、福島で6年ぶりの勝利を挙げた。ウィナーズサークルに集まった大勢のファンが、武騎手を拍手で迎えた。待ち望んでいた瞬間が訪れたときのストレートな反応が、この拍手だと思われた。武騎手にとってのJRA通算3463勝目は、福島のファンにとって特別な一勝となった。

 私はこの日、ツイッターでの交流を機に友人になった、福島競馬場で乗馬をしている高校1年生の鈴木駿君とも、福島競馬のキャッチコピー「再開、そして再会。」ではないが、再会した。

「豊さんの騎乗を目の前で見るのは初めてなので嬉しいです。やっぱり綺麗ですね」

 と駿君は、一緒にターフビジョンを見ながら目を輝かせた。駿君の将来の夢はJRAの厩務員。妹さんの名が「優」ちゃんで、きょうだいで「優駿」という競馬ファミリーである。駿君とはいつかトレセンで「再会」するのだろうが、その前にまた福島競馬場で顔を合わせるかもしれない。

 震災後、飯館村の人々が、福島競馬場の寮などの施設内で避難生活を送り、彼らを後藤浩輝騎手が慰問したことがあった。この日、レースの合間に検量室裏で、飯館村の人々と後藤騎手が再会を喜び合っていた。避難先がバラバラなので、ここで久しぶりに旧友に再会した人もいたという。

 さて、メインの福島牝馬Sで2番人気に支持された武騎手のアカンサスは、直線、外から鋭く伸びるも3着に敗れた。

 モノが違う印象の強い勝ち方をしたのは、藤岡佑介騎手が手綱をとった、角居勝彦厩舎のオールザットジャズだった。藤岡騎手が「この馬で再開した福島競馬を盛り上げたい」と早くから宣言していた馬である。


サインに応じる角居師

サインに応じる角居師

 角居調教師の囲み取材に途中から加わった私が「おめでとうございます」と言うと、師は「ありがとうございます」と答えてから目を上げ、声の主が私だとわかると軽く上体をのけぞらせた。

「こういうときにも取材に来るんですね」

 そう言って笑った角居師が検量室前に戻ると、近くに集まったファンから「角居先生、サインお願いします!」と声がかかった。師がそちらに向かうと、ものすごい数のファンが色紙を差し出した。元騎手ではない調教師でこれだけ人気のある人はほかにいないだろう。なかには、師にサインをもらって涙を流している女性もいた。震災から2週間ほどしか経っていなかった2011年3月26日、師が管理するヴィクトワールピサがドバイワールドCを制したことで、苦しい日々のなか喜びを感じた福島の人は多かったのではないか。

 少し経つと藤岡騎手も角居師の横に来てサインに応じ、豪華な「サインの併せ馬」がしばらくつづいた。


サインに応じる武豊騎手

サインに応じる武豊騎手

 最終レース終了後には、武騎手もそこでサインに応じた。この日だけで場内でどれだけ色紙が売れたのだろう、と思わされるほど多くのファンが色紙を手にしていた。

 この日10鞍に騎乗したレースぶりも、サインに応じるときの表情も、ファンに手を振りながら走り去るときの様子も、武騎手はいつもどおりだった。なので(言い訳がましくなるが)私は、翌日彼がマイラーズCなどの騎乗をキャンセルしたという報せに接するまで、彼がこの日、福島第5レースの返し馬で落馬していたことを知らずにいた。

 ともあれ、翌週の天皇賞・春などを前に大事をとった、という感じの軽症だったようで、ほっとした。

 4月7日と21日、福島競馬場で朝からレースを見つづけた感想をひと言で言うと「楽しかった」。これに尽きる。

 いわゆる「被災3県」の復興のゴールはまだまだ先だが、競馬が帰ってきた福島が、前より元気になったことは間違いない、と実感できた。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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