2013年01月31日(木) 18:00
引退記者会見
「やり残したことはないですね。JRAにこさせてもらって、たくさんの名馬に乗せてもらって。幸せな騎手人生だったと思います」と、振り返った勝己騎手。
ちょうど11か月前、このコラムでもとりあげた勝己騎手の実兄・安藤光彰元騎手(現・調教助手)の引退セレモニーで「(兄が)無事に騎手生活を終えてよかった」と話していた勝己騎手。この兄の引退も自らの引き際を悟る引き金のひとつになったそうです。
兄・光彰さんは弟の引退について「とにかく、おつかれさま」とまず労いの言葉。そして、「半年くらい前、次の騎手免許は更新しないと聞いていた。競馬前に毎週4、5キロの減量を繰り返していたよ。中央に移籍したあと、ずっと一緒にやってきたしやっぱりさみしいね」と話していました。
騎手になった兄の追うように自らも騎手になった勝己騎手ですが、笠松時代は「レースも調教も数多く乗って基礎を作った。ガムシャラだった。少々、人の邪魔をしても勝つという“ガッツ”が磨かれた」(勝己騎手)そうです。実際にどんな様子だったのか? 光彰さんにうかがいましたが、当時の笠松競馬は中央のスマートなレースとは大違いだったようです。
「小さな競馬場だからスタートダッシュが肝心。“絶対出遅れてはいけない”とゲートが開く前からみんな馬にムチを入れて気合いをつけていたよ。時には、返し馬で一度追い切って息をつくったほど。勝己のいう“ガッツ”なしでは勝てない環境だったんだ」(光彰さん)
中央の芝でのレースのような“折り合って終いを生かす”というレースとはまったく違いますね。でも、そんな気迫溢れるレースを重ねながら勝己騎手の心身を磨いていたったのでしょう。
今後は「少しでも競馬の魅力を伝えられれば」と語っていた勝己騎手。いま、世の中からは“ガッツ”という言葉が聞かれなくなりました。でも、こんな厳しい時代です。いまこそ、人間には“ガッツ”が必要なのではないでしょうか。近い将来、勝己騎手が競馬の魅力を通じて、ガッツの大切さをたくさんの人々に教えてくれたらいいな、と思います。本当にお疲れ様さまでした。
カラフルブラッサム
「左回りの芝2000m、当初からこのビオラ賞を目標にしていた」(鈴木師)とのこと。陣営はデビュー前からオークスを意識していましたが、東京と同じ左回りのこのビオラ賞に照準を合わせていたのです。
体はひとまわり大きくなった印象。以前は線の細い女の子っぽい印象がありましたが、今では必要な個所にほどよく筋肉がついてきましたよ。今週の追い切りは、ウッドチップコースでの3頭併せ。2頭を前にいかせて追いかけるという指示でしたが、想定どおり直線でスッと抜け出して先着しています。
「追い切りでは抜け出すときの脚がひじょうに速いんです。抜け出したあとはちょっと気を抜くところがありましたが、終い12.2秒で上がっていますから大丈夫でしょう」と担当の久保田助手。
気になるのは週末のお天気。
「とびもキレイ。良馬場を祈っています」(久保田助手)
ここを勝って、重賞戦線に駒を進めてほしいですね。
最後にシゲルスダチの近況を少々。新しく担当しているのは持ち乗りの甲斐調教助手。マイネルエテルネルやマイネルマエストロなどを担当している腕きき助手さんです。甲斐さんのスダチの印象は「競馬にいくとエキサイトするけれど、普段はそれほどうるさくない」とのこと。
スダチもちゃんと言うことを聞いて毎日調教に励んでいます。次走は阪急杯の予定ですが「前走は展開が向かなかっただけ。上がりはしっかり走っているし、次もチャンスはあると思うよ」(甲斐助手)とのことでした。スダチは新しい環境でもカイバもしっかり食べていましたよ。安心してくださいね。
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花岡貴子
デジタルレシピ研究家。パソコン教師→競馬評論家に転身→IT業界にも復帰。競馬予想は卒業したが、現在も栗東トレセンでニュースやコラム中心の取材を続けている。“ねぇさん”と呼ばれる世話焼きが高じ、AFPを取得しお金の相談も受ける毎日。公式ブログ「ねぇブロ」(http://ameblo.jp/takako-hanaoka/)