夏のグランプリを「武豊記念」に

2013年06月22日(土) 12:00

 オルフェーヴルの回避は残念だが、ジェンティルドンナ、ゴールドシップ、フェノーメノの「4歳三強」の激突が最大の見どころとなる第54回宝塚記念のスタートが近づいてきた。

 6月21日付の「スポーツ報知」が、このレースを「武豊記念」とか「ユタカ・スタリオン・ステークス」と紹介しているのを見て、なるほど、と思った。

 武豊騎手は、今年の宝塚記念の全出走馬の父(ディープインパクト、ステイゴールド、ダンスインザダーク、マーベラスサンデー、ホワイトマズル、キングカメハメハ、シンボリクリスエス)に乗ったことがあるのだ。しかも、ホワイトマズル以外のすべての馬で勝っており、勝てなかったそのホワイトマズルで参戦したのは1994年のキングジョージVI&クイーンエリザベスステークス(2着)と凱旋門賞(6着)だったのだから、価値ある騎乗だったと言える。

 私は、彼がホワイトマズルに乗った2戦とも現地で観戦した。94年というと、ついこの間のことのように思えるが、もう19年前のことになるのか。あれが武騎手にとって凱旋門賞初騎乗で、2度目が2001年、アンドレ・ファーブル厩舎のサガシティで3着、3度目が06年、ディープインパクトで3位入線後失格、4度目が08年、メイショウサムソンで10着、5度目が10年、ヴィクトワールピサで7着だった。

 今年は、自らの手綱で日本ダービーを勝たせたキズナで臨むことになっており、これが6度目の凱旋門賞参戦になる。

 94年が初参戦で、これが6度目。どこかで似たような数字を目にしたことがないだろうか。そう、前田幸治氏が代表をつとめるノースヒルズ(前身のマエコウファームも含む)の生産馬が初めて日本ダービーに参戦したのが92年(ゴールデンゼウス、11着)で、今年のキズナが6度目(7頭目)だったのだ。

 20年ほどもチャレンジしつづけ、試行錯誤を繰り返してついに栄冠を手にした。

 武騎手にとっての凱旋門賞も「そろそろ自分に回ってきてもいいタイトル」になってきたと言えよう。

 話を宝塚記念に戻したい。

 これが「ユタカ・スタリオン・ステークス」というのは前述したとおりだが、出走馬の母を見てみると、彼はヒットザターゲットの母ラティールにも乗っている。では、母の父はどうか。

 おっ、2頭いた。1頭はゴールドシップの母の父メジロマックイーン。もう1頭は、レースでは乗っていないが、ダノンバラードの母の父アンブライドルド(90年のケンタッキーダービー馬)だ。この馬がデビューする前、アメリカのアーリントン国際競馬場(当時の名称)で跨っているのだ。

 これまで彼は、89年イナリワン、93年メジロマックイーン、97年マーベラスサンデー、そして06年ディープインパクトと、宝塚記念を4勝している。「夏のグランプリ男」の腕で、トーセンラーを頂点に導くことができるか、見ものである。

 武豊騎手が大レースで存在感を見せると、競馬サークルの外からの注目度が俄然高くなる。

 私はスポーツ誌「Number」を母体とする「Number Web」で「沸騰! 日本サラブ列島」というコラムを連載しているのだが、ダービー前に書いた「支えてくれた恩人にダービーを――。武豊、キズナの鞍上で期する思い」というタイトルのコラムは、その週に同サイトでアップされたすべてのスポーツのコラムで一番アクセスが多かったという。

 彼がキズナでダービーを勝った日の夜、テレビ各局のスポーツニュースでは、近年にない長さで(尺を計ったわけではないが)リプレイが流された。やはり「役者が違う」のである。

 その余波で、と言うべきなのか、私にまでたくさんの「おめでとうコール」や「おめでとうメール」が来て(まあ、確かに馬券はプラスだったが)、自分が走って勝ったわけじゃないのに、何度も「ありがとうございます」と繰り返した。

 お笑いコンビ「ナイツ」の土屋伸之さんも、「ほかに『おめでとうございます』と言える人がいないので」と、私に「おめでとうメール」をくれた。

 彼は、ダービーの前週にオンエアされたテレビ朝日系列「アメトーーク!」の「偉人サミット スーパースター列伝」で、金子真人オーナーの勝負服を着て、武騎手に関するネタを披露していた。

「武豊騎手は調教で指定されたタイムどおりに乗ってくるほど体内時計が正確なんです」

 と持ち上げてから、

「それに引きかえ、うちの浅草の師匠は体内時計ゼロで、寄席の持ち時間をいつもオーバーして……」

 と笑いをとっていた。

 その収録前、共通の知人から連絡があり、武騎手に関するいろいろなエピソードを土屋さんに伝えてほしいと言われたので、1時間ぐらいだっただろうか(私は話が長くなるので)、電話であれこれしゃべった。その7、8時間後、土屋さんから「どうにかネタを固めました」と連絡があり、さらに数時間後の収録に臨んだようだ。

 つまり、土屋さんと私に関して言えば、武騎手が「ネタ」にもなり「絆」にもなってくれたわけである。

 という話を、ダービーの翌週インタビューしたとき武騎手に伝えると、番組は見逃したが、自分がとりあげられたことは知っていたという。どんなネタだったか教えたら、嬉しそうに笑っていた。

 宝塚記念でのトーセンラーの戦術に関して、管理する藤原英昭調教師は、会見などで「2番手ぐらいでレースを進めたい」と話していたが、それは本心なのか、それともブラフのようなものなのか。

 溜めて溜めて、直線で瞬発力勝負に持ち込む、というタイプではなく、コーナーを回りながら加速し、直線はスーッと滑るように走ってこそよさの出る馬なので、本当は、勝負どころに下り坂があって直線が平坦な京都の外回りがベストである。

 が、宝塚記念は阪神の内回りだ。コーナーを回りながらグーンと行くにはいいコースだが、直線には急な上り坂がある。

 まあ、そういう不利な条件があっても、自分向きのコースであるかのように馬に錯覚させてしまうこともできるのが、武豊という騎手である。

「競馬の祭典」で復活した天才が、三強対決に沸く夏のグランプリを本当に「武豊記念」にしてしまうか、注目したい。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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