切神術の実態

2013年06月26日(水) 12:00

 アナボリックステロイド騒動がようやく一段落した英国で、またしても、獣医学的分野の競馬法に抵触して主催者団体資格停止処分を受ける調教師が出てしまった。

 競馬統括団体BHAから、6月22日から向こう3年間の資格停止を命じられたのは、イーストヨークシャーのカトウィックを拠点に25頭ほどの現役馬を管理するイアン・マクインズ調教師。抵触したのは、競馬法188条に定められた、「切神術を受けた馬を出走させてはいけない」だった。

 切神術とは、神経を切除することによって痛みの緩和を図る治療手段である。もっとも一般的なのは、蹄に疾病を抱えた馬に、蹄への神経伝達を遮断するべく施すもので、患部の治癒に繋がるものではないが、痛みの軽減にはおおいに効果がある施術と言われている。

 ただし、痛みがなくなっただけで患部の炎症は根治しておらず、この状態で激しい運動を行うと、炎症の悪化や更に大きな疾病を誘発する可能性が高い。従って、競馬の世界でも競技馬術の世界でも、切神術を受けた馬は出走(参加)出来ないと定めている国や地域がほとんどである。

 今回、切神術を受けた上で出走したことが発覚したのは、2001年生まれの騸馬コマンドスコット(父デインタイム)。BHAが行った調査によると、同馬は2008年7月29日に、右後肢蹄底の足趾神経を切除する手術を受けている。本来ならばこの段階で現役を退かなくてはなたらなかったコマンドスコットだが、同馬が8歳となった翌年5月にミューセルバーグ競馬場のハンデ戦で戦線に復帰。同年9月までに9戦して、勝ち星をあげることは出来なかったが、2着1回、4着1回、5着2回という実績を残した。

 翌年、9歳となったコマンドスコットはデクラン・キャロル厩舎に転厩。このシーズンもコマンドスコットは10戦し、なんと2つの勝ち星を挙げるという良績を残した。ただし、コマンドスコットのパスポートに切神術を受けたという記載はなく、ましてや前任者から切神術に関する申し送りがあったわけがなく、その事実を知り得る立場になかったデクラン・キャロル調教師には、一切お咎め無しとの裁定が下っている。

 競馬法188条に抵触した段階で、イアン・マクインズは既に相当な悪者だったのだが、更に悪質だったのが、2011年11月にBHAの調査が始まって以降の振る舞いだった。 コマンドスコットの、その時点での居場所を把握していたにも関わらず、厩舎を訪れたBHAの捜査員に対して「ウチの厩舎から転厩して行って以降は、所在を掴んでいない」と回答。その一方で、目くらましを図る目的で、コマンドスコットをその時いた場所から別の場所に移動させるという、悪辣な行為に及んでいる。

 その後、BHAが馬の居場所を突きとめ、右後肢蹄底に切神術を受けた痕跡が確認された後も、そんな手術を受けさせた覚えは無いし、そもそも自分は切神術の何たるかを判っていなかった、とまで強弁したのである。

 BHAの懲罰委員会は、マクインズが手術の意味を知らなかったわけがなく、手術も間違いなくマウインズの指示で行われたと断じ、競馬法31条2項の「BHAの捜査を混乱させた」ことにもマクインズは抵触するとの裁定を下している。

 BHAはマクインズに対し、在厩している馬のオーナーに早急に連絡をとり、24日(月曜日)までに全馬を退厩させるよう勧告した。

 英国では、2008年にチェルトナムのG1ワールドハードルをイングリスドレヴァーで制したハワード・ジョンソン調教師が、管理馬ストライキングアーティクルに切神術を施した後に競馬に使ったことが発覚。別の管理馬にアナボリックステロイドを使用していたことも同時に見つかったジョンソンに、4年間の資格停止処分が下るという事件が、2011年に起きたばかりだった。

 BHAは再発防止策として、現在は義務化されていない、切神術歴のパスポートへの記入を、義務化する方向で検討に入ることになった。

 それにしても、である。

 優雅なスポーツとして競馬が発展し、かつ、愛馬精神に溢れた国民性で知られる英国で、調教師の不祥事が続いていることを、非常に残念に思う。調教師間で過度の競走意識が生じ、勝ちにこだわる余り殺伐とした雰囲気が生じているとしたら、見過ごしには出来ない事態と言えそうだ。

バックナンバーを見る

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

新着コラム

コラムを探す