菱田裕二騎手(2)『サッカー選手からジョッキーへ、きっかけは横山典弘騎手』

2013年11月11日(月) 12:00

おじゃ馬します!

今週は『50の質問』ラスト10問と、インタビューの本編に入っていきます。「この場を借りて謝りたい人」に、母親を挙げた菱田騎手。その意外な理由とは。また、サッカー一筋だった菱田少年が、競馬にまさかの心変わり! 家族の反対を押し切ってのドタバタ劇を披露していただきます。(11/4公開Part1の続き、聞き手:東奈緒美)


まずは、菱田裕二騎手を丸裸にする怒涛の『50の質問』、残りの10問からお届けします!

―Q41.今までで一番感動した事は?

競馬学校に合格した瞬間。

―Q42.今までで一番大変だった事は?

競馬学校生活。

―Q43.今までで一番恥ずかしかった事は?

お酒の失敗は、結構ありますね。最近は自分の飲める量が分かってきたんですけど、20歳になりたての時は分かっていなくて。一度、馬主さんに対して失礼な態度を取ってしまったことがあって。「これはやってしまった」と思って、酔いがさめて冷静になってからものすごく落ち込みました。そうしたら、それからその馬主さんの馬に乗せていただけるようになったんです。びっくりしましたけど、本当に感謝しています。

―Q44.最近、大笑いした事は?

吉本新喜劇を見に行って、それが面白かったです。笑い飯と月亭方正(山崎邦正)さんが出ていたんですけど、めっちゃ面白かったですね。

―Q45.最近、悩んでいる事は?

どうしたらもっと競馬を上手に乗れるだろう、っていうことです。

―Q46.この場を借りて、謝りたい事はある?

母親ですね。LINEを一切返さなくてごめんなさい。「元気?」とか「食べてる?」とか、2日に1回ぐらい来るんですけど、返したことがない。返そうとは思うんですけど、恥ずかしくて返せないんです。

―Q47.一つだけ願いが叶うとしたら何を願う?

大学生生活をしてみたいです。コンパとかサークルとか楽しそうですよね。

―Q48.一生のうちでやり遂げたい事は?

親に家を建てること。稼がないと。

―Q49.一番の宝物は?

一番の宝物…難しいな。やっぱり家族ですね。あと、カッコ付きで中井裕二(笑)。

―Q50.あなたのエネルギーになっている物は?

トップジョッキーの活躍かな。「そこに近づきたい」というのが一番のエネルギーです。近くから見ていても、やっぱりすごいんですよね。一緒のレースに乗っていますけど、大きい。とてつもなく大きいです。

―質問終了―


◆きっかけは横山典弘騎手

:お疲れ様でした。妹さんがいて、お兄ちゃんなんですね。

菱田 :はい。でも、妹というかお姉ちゃんみたいな感じです。3つ下なんですけど、「ちゃんとしいや」みたいな感じで、向こうの方がしっかりしてます。

:やっぱり女の子の方がおませですね。お母さんへのお話はいいですね〜。お母さんにこのコラムを読んでいただきたい。家を建ててくれるなんて、LINEは返さないでも、親孝行じゃないですか。

菱田 :そうですかね。なんか、恥ずかしくて返せないんです(照笑)。

:京都のご出身ということですが、騎手になったきっかけというのは?

菱田 :小学生の時に、家族と天皇賞・春の日に競馬場に行って、そのレースにとても感動しました。イングランディーレが勝った時です(2004年)。

おじゃ馬します!

横山典弘騎手が逃げ切りを決めた2004年天皇賞・春

:横山典弘騎手が逃げ切ったレースですよね。お家から競馬場も近いですもんね。

菱田 :そうなんですよ。でも、・・・

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東奈緒美・赤見千尋

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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