スマイルジャックの移籍初戦

2013年11月09日(土) 12:00

 11月6日、水曜日の夜、川崎の山崎尋美厩舎に移籍したスマイルジャック(牡8歳、父タニノギムレット)の地方初戦を見に行ってきた。舞台は大井競馬場のダート1600m。1着賞金2500万円の重賞「マイルグランプリ」である。

 カクテル光線が照らすパドックでスマイルを見るのは、やはり不思議な感じがした。安田記念で2年連続3着となったころは、あの力強い走りからしてドバイ・メイダン競馬場のオールウェザー(タペタ)がピッタリだから、ナイターで姿を見るとしたらドバイだろうと思っていた。

 しかし――。
 飛行機で半日かかるところになるはずが、徒歩と電車で20分のところで「再会」することになった。夢を見るのは勝手とはいえ、現実の厳しさにため息が出てしまう。

 話をマイルグランプリに戻す。
 私は、パドックのスタンドに近い側に立っていた。
 JRA時代と同じく2人曳きで、流星の目立つ整った顔が近づいてきた。

マイルグランプリのパドックを歩くスマイルジャック

マイルグランプリのパドックを歩くスマイルジャック

 東京や中山のパドックで、いつも同じところにいる私に、スマイルは決まってガンを飛ばしてきた。

 歩きながら、こちらに気づいてフッと表情を変える、という感じではなく、ただギロリと睨むのだ。

「よく来てくれたな」とか、「何して遊ぼうか」といった親しみのある目を向けてくれる馬もいるが、いつどこで会っても、けっしてそんなことはせず、「またお前かよ」と面倒くさそうな顔をするのが「スマイルらしさ」なのである。

 この日も、最初の2周はこちらを見ずに私の前を通りすぎたが、私が一歩前に出た3周目で、ようやく目を向けた。次の周回でも数秒間、歩きながら私を睨んでいた。

――お前、わかってるんだろうな。

と、スマイルの声が聴こえたような気がした。

――わかってるって、何がだよ。
私が訊くと、

――あとで厩舎にニンジン持ってこいよ。

――持ってねえよ。

――なんだ、相変わらず使えねえ野郎だな。

 と目を前に向ける。
 このあたりは、私がよく知っているスマイルのままだった。

立ち止まって筆者にガンを飛ばすスマイルジャック。

立ち止まって筆者にガンを飛ばすスマイルジャック。

 が、ひとつ気になることがあった。

 パドックを周回しながら、私が「P音」と呼んでいる、「パコ、パコッ」という音が蹄から聴こえたのだ。気合いを込めてギュッと地面を踏みしめるのではなく、気のない脚の出し方をするからP音が出る、と私は考えている。パドックでP音を出しながら走る馬もまれにいるが、9割がたは、勝ち負けすることなく終わってしまう。

 第20回マイルグランプリのゲートがあき、16頭の出走馬がスタートした。

 5番枠から出たスマイルは後方5、6番手でスタンド前を通過し、内埒沿いの経済コースを通って折り合いをつけた。

 3、4コーナーで動こうとしたが前が塞がるシーンがあり、さらに別定の59kgも響いたのか、往年の末脚を繰り出すことなく10着に敗れた。

 晴れてはいたが重馬場だったので、検量室前に戻ってきたスマイルの流星が泥で消えてしまい、少しの間、どこにいるのか見つけられずにいた。鋭い視線を感じたので振り向くと、そこに泥だらけのスマイルがいた。

「きょうは包まれて競馬にならなかった」
 と山崎師は足早に厩舎に向かった。

「ダートの走りそのものは悪くないと思います」
 と言うのは、手綱をとった山崎誠士騎手だ。

「それほど掛かるところもなかった。ただ、手応えのわりに伸びなかったですね」
 自分でやめるようなところはなかったか訊くと、

「うーん、そういうところが少し出たのかもしれません」
 と答えた。

 単勝16.9倍の6番人気。これには当然「応援票」が多く含まれており、山崎騎手も、パドックで向けられたカメラの多さから、この馬のファンの多さを実感したという。

 人気より下位の着順だったが、5番人気の巨漢馬クリーン(11着)や、トーセンアーチャー(12着)、ナニハトモアレ(13着)といった元JRA勢には先着した。2走前のサンタアニタトロフィを勝つなど、これが5戦連続の大井マイルとなり、4番人気に支持されていたゴーディー(7着)より2kg重い斤量でコンマ2秒差と考えると悪くない。

 勝ったのは、これも元JRAのトーセンアドミラルだった。

 鞍上は、管理する川島正行調教師の息子の川島正太郎騎手。JRAの三浦皇成騎手と同じ2008年にデビューする前から、師匠でもある川島師が「武豊タイプだよ」と話していた乗り手である。

 レース前とあまり変わらぬ表情で、淡々と勝利騎手インタビューに応える姿を見ていると、大舞台向きの静かな強さを持った青年であることがわかる。

勝利騎手インタビューに淡々と応える川島正太郎騎手。

勝利騎手インタビューに淡々と応える川島正太郎騎手。

 祝福の言葉をかけ、手を差し出すと、「お久しぶりです」と握り返してきた。手のひらのつつみ込むような厚さとやわらかさも、20代のころの「武豊タイプ」だった。

 スマイルジャックは、次はどんな走りを見せてくれるだろうか。
 またタイミングが合えば、ギロリと睨まれに行こうと思う。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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