台風の次は大地震

2003年09月29日(月) 11:10

 9月26日早朝、日高東部と中部、及び十勝、釧路地方など、北海道の南東部をマグニチュード8.0の大地震が襲った。浦河は午前4時50分と6時過ぎの二度、震度6弱を記録し、直後から電気と水道が止まる事態となった。やむなく、乗用車についているテレビを見ながら情報を得ると、震源地は釧路沖。繰り返しテレビでは「津波警報」を流している。思わず、いつぞやの北海道南西沖地震の際に大津波が襲来して大惨事となった奥尻島のことを思い出した。

 夜が明けて我が家の周辺を見渡したが、どこも建物の被害はとりあえずなさそうだ。家の中は、家具の転倒もなく、棚の上のものがほんの少し落下しただけ。食器棚も書棚も無事で、テレビも倒れていなかった。ピアノが少しずれていたくらいで、私の仕事部屋も壁の絵が傾いた程度に終った。

 とはいうものの、さすがに震度6弱というのは、相当な揺れ方である。地盤の軟弱な地域では、「家具という家具がすべて転倒した」「水槽の熱帯魚が全滅して、部屋中水浸し。足の踏み場もない」「食器棚が倒れほとんどの食器が割れた」などという友人知人の様子が伝わってきた。

 我が家のようにほとんど無傷で済んだところから、家の中がめちゃくちゃになるほどの被害を受けたところまで、同じ浦河でもずいぶん揺れ方に落差があったようだ。

 とりあえず、余震が怖かったものの、いつも通りに厩舎の馬たちを放牧する。後は、馬房を掃除し、普段通りの生活に戻れる…はずであった。

 だが、停電はその日の午前中に復旧したものの、水道が出なくなり、ついに三日経った現在でも、断水中である。町では、ひとまず人間の飲料水を最優先に確保すべく、陸上自衛隊の給水車などを応援に頼み、ポリタンク入りの水をもらってくる生活を余儀なくされている。

 地震直後は、ほとんど全町が断水しており、各家庭に割り当てられたポリタンクも「一軒に一つ」という厳しい規制だった。しかし、人間はともかくも、馬の飲料水となると、ポリタンクがいくつあっても足りない。やむなく、町役場に電話をして浄水場まで直接水をもらいに行くことにした。私の牧場には、200リットル入りのタンクが一つあり、普段から放牧地への給水に使用している。とりあえず、これを満タンにしておけば、全頭(繁殖牝馬7頭、当歳6頭、1歳3頭)分の飲料水一回分はある。浄水場まで軽トラックで15分の道のり。往復30分プラス作業時間だが、やむを得ない。すぐ出かけることにした。

 行ってみると、自衛隊のタンク車に大手のE牧場がダンプ二台で順番を待っている。因みにE牧場は、全部で4000リットル分のタンクを搭載してきていた。在厩馬が多いのでこのくらいは必要なのだという。

 その後徐々に断水地域は少なくなって来ているものの、私の牧場は復旧工事が最後になってしまうのではないか。幸い、給水事情は日を追うごとに潤沢になって、日曜日の夕刻には、「宅配」してもらえるようになった。ポリタンクも「いくつでもどうぞ」という状態にまで改善している。復旧が進むにつれて、不要になったポリタンクが回ってくるらしい。

 昭和43年と57年の二回、私は震度6の大地震を経験しているが、揺れ方はむしろ57年の時の方が強かった気がする。あの時は、部屋の書棚が全部倒れ、もし就寝中の時間ならば確実に下敷きになっていたはずだ。ともあれ、忘れた頃に日高は大地震に見舞われる。予知できない自然災害なので、これは始末が悪い。

 さて8月9日の台風10号に続き、今回の地震と、まさに日高は今年ご難続きなのだが、これはいったいどうしたことなのだろう。とんだ「厄年」になりそうだ。

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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