闘病の甲斐無く亡くなったセントニコラスアビー

2014年01月15日(水) 12:00

 出走を予定していたアスコットのG1キングジョージ6世&クイーンエリザベスSを目前に控えた昨年7月23日、調教中に右前脚の繋(つなぎ)と球節部位に複数の骨折を発症。以来、懸命の治療が施されていたセントニコラスアビー(父モンジュー)が、1月14日、足掛け7か月に及んだ闘病の甲斐無く亡くなった。享年7歳だった。

 タタソールズオクトーバーセールにて20万ギニーで購入され、A・オブライエン厩舎に入厩したセントニコラスアビーの、2歳時の戦績は3戦3勝。ダービーの登竜門と言われるG1レイシングポストトロフィー(芝8F)を3.3/4馬身差で快勝し、翌年の英ダービーへ向けた前売りの大本命に挙げられるとともに、70年のニジンスキー以来となる3冠達成を期待されたのがセントニコラスアビーだった。 

 3歳緒戦のG1二千ギニー(8F)で6着に敗れ、早くも3冠の夢が潰えると、それ以降は出走態勢が整わずにシーズン末まで全休。期待外れに終わったのが3歳シーズンだった。

 だが、4歳を迎えてセントニコラスアビーは復活。G1コロネーションC(12F10y)、G1BCターフ(12F)と2つのG1を制し、一級品の能力を持つ馬であることを改めて実証した。

 5歳時も、前年に続いてG1コロネーションCを制したのを含めて、G1ドバイシーマクラシック(2400m)、G1キングジョージ(12F)、G1BCターフなど6つのG1で入着する堅実な走りを見せたが、同馬がいよいよ本格化なったかというパフォーマンスを見せたのが、6歳時だった。緒戦となったG1ドバイシーマクラシックで、日本の年度代表馬ジェンティルドンナを完封して5度目のG1制覇。その後本拠地に戻ったセントニコラスアビーは、6月1日のエプソムに姿を見せ、G1コロネーションCを3.3/4馬身差で完勝。レース史上初めて3連覇を達成するとともに、欧州における歴代賞金王の座に躍り出たのである。6歳になって見せた完璧なレース振りは、2歳時に与えられた「スーパースター候補」との称号が、決して的外れではないことを証明するものだった。

 すなわち、非常に高い競走能力に加えて、2歳時から活躍する早熟性と6歳になって完成した成長力をあわせ持つのがセントニコラスアビーで、12年3月に亡くなった父モンジューにとって最も有力な後継馬候補であると、誰もが認める存在となっていたのである。

 7月23日に発症した骨折は重篤で、現役続行は言うまでも無く不可能だったが、関係者は人事を尽くしてセントニコラスアビーの命を救う道を選択。事故翌日の7月24日にフェザードエクワイン病院で大手術が行なわれ、患部には20本ものボルトが埋め込まれた他、血液の滞留によって患部組織の一部が壊死したため、臀部から植接用の骨組織が採取されて患部に移植されるという、極めて高度な技術を駆使した治療が施された。執刀にあたったのは、このためにわざわざアメリカから招聘された、骨折治療の権威ディーン・リチャードソン獣医だった。

 手術そのものは大成功したものの、それは治癒に向けた第一歩に過ぎなかった。馬という種族が背負う宿命が、合併症という形となって幾度となくセントニコラスアビーに襲い掛かり、長く厳しい闘病生活を強いることになったのだ。

 疝痛の発作を起こしたのは、手術2日後の7月26日のことだ。人間よりも遥かに大きな盲腸部分で閉塞が起き、緊急の開腹手術が行なわれたのである。

 体重を支えるべく、患部の菅骨に埋め込んだ主要なボルトの1つが折れるという不測の事態が起きたのが、8月26日のことだった。破損したボルトを摘出し、改めて患部を固定する手術が行なわれた。

 その後は順調に回復し、9月末にはギプスが軽量なものに取り替えられ、馬房の中で動きまわれるまでになったセントニコラスアビーだったが、更なる悪夢が襲ったのが、10月22日のことだった。患部とは反対側の右前脚に、蹄葉炎の兆候が見えはじめたのだ。関係者が最も恐れていた事態が、遂に訪れたのである。

 過度の負荷がかかることで蹄の内部(葉状層)で血行障害が起こり、組織が挫滅するという、馬や牛などの有蹄類にとっては致命傷になりかねない疾病が蹄葉炎で、過去多くの名馬が、これを罹患したことで命を落としている。

 11月28日付けで、セントニコラスアビーを所有するクールモアグループがステートメントを出し、7月23日の骨折以来最大の危機に直面していることを公表。現状よりも更に蹄骨が下がって来るようだと、重大な局面を迎えると、蹄葉炎との厳しい闘いが続いていることを明らかにしている。

 その後、セントニコラスアビーが馬房の廊下を歩く姿がビデオで公開されたのが12月9日で、更に年明けの1月4日には、新たな蹄組織の発達が見られるとして、蹄葉炎の症状に改善が見られることが発表された。予断を許さぬ情勢ながら、回復へ向けて明るい兆しが見え始めていたのが、年明け早々の状況だったのだが………。

 1月14日朝、腸ねん転を発症し、手術による治療を試みたものの手の施しようがなく、遂に安楽死の処分がとられることになった。
 
 関係者の悲痛を思うといたたまれないが、セントニコラスアビーが辛い闘病生活から解放されたことに救いを求めつつ、合掌。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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