【特別企画】藤岡佑介騎手の『私の恩人』(1)―下降線に入っていたことに気がつけなかった

2014年01月23日(木) 18:00

藤岡佑介騎手「あの人がいたから今の自分がある」「あの人のあの言葉があったから、ここまでやってこられた」──誰の人生にも“宝物”のような出会いがある。浮き沈みが激しく、つねに“結果”という現実にさらされているジョッキーたちは、そんな“宝物”たちに支えられているといっても過言ではない。ここでは、そんな出会いや言葉でジョッキー人生がどう変わり、そして今の自分があるのかを、ジョッキー本人の言葉で綴っていく。第1回は藤岡佑介。今年3月でデビュー丸10年を迎える藤岡が、恩人への感謝と自分を変えた数々の言葉を通して、自身の10年を振り返る。(取材・構成/不破由妃子)


 1986年3月17日、滋賀県・栗東市にて、藤岡家の長男として生を受けた佑介。父・健一は、当時、栗東・宇田明彦厩舎で調教助手を務めていたため、佑介はふたつ下の弟・康太とともに、いわゆる“トレ子(親が競馬関係者で、トレセンの近くで育った子)”として育った。幼いころから父を通じて馬と触れ合ってきた佑介は、馬が大好きな少年だった。そんな彼がジョッキーを目指したのは、ごく自然な流れだったのだろう。2004年3月、栗東・作田厩舎からデビュー。2002年11月に厩舎を開業していた健一だが、あえて自分の厩舎には所属させなかったという。

 早いもので、デビューから10年が経とうとしています。その間、良くも悪くもいろいろなことがあり、その都度、多くの人たちの支えや応援があって今の僕があるわけですが、一貫して持ち続けているのは、調教師であり、この世界の先輩でもある父(藤岡健一調教師)への感謝の気持ちです。

 親子だからといって決して甘やかさず、常に厳しい目で見てくれるのは本当にありがたい。おかげで、28歳になろうという今も、一番怖い存在ですけどね(笑)。そもそも父が競馬の仕事をしていなければ、僕はジョッキーにはなっていません。父がこの世界に導いてくれたから今があるという思いは、10年経っても変わることはないですね。本当に感謝しています。

 もちろん、師匠である作田先生も、唯一無二の恩人です。あまり多くを語る方ではなく、怒られた記憶もほとんどないのですが、「騎手である前にひとりの人間として、恥ずかしくない行動をしなさい」という先生の教えは、今でも常に頭のなかにあります。2007年にフリーになりましたが、師匠と弟子の関係が希薄になりつつあるなかで、10年経った今でも弟子として目をかけてくださって、見守ってくれています。

 昨年、フランス行きを決めた際も、いろいろと相談させていただきました。そして帰国後は、「よう行ってきたな。でも今からだぞ」と。僕がここから新しいスタートを切れるのも、素晴らしい師匠と巡り合えたこと、そしてここまで導いてくれた父のおかげだと思っています。

藤岡佑介騎手

父の管理馬アズマサンダースで重賞初制覇

 初年度から35勝を挙げ、1999年デビューの北村宏司騎手以来5年ぶりとなるJRA賞最多新人騎手のタイトルを獲得。暮れの朝日杯フューチュリティSでは、新人にしてGI騎乗もはたした(サクセスドマーニ・13番人気13着)。翌2005年1月の京都牝馬Sでは、父の管理馬アズマサンダースを駆り、早くも重賞初制覇。2年目はさらに勝ち星を62勝まで伸ばし、以降、すっかり関西リーディングトップ10の常連となった。・・・

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