石橋守調教師(3)『“一冠を獲ってダービー挑戦”のプライドを懸けて』

2014年02月17日(月) 12:00

おじゃ馬します!
デビューの頃から「ダービー制覇」を夢見続けてきた石橋騎手。その夢がついに現実として迫ったのは、デビューから実に22年目。40歳というベテランの域に入っていた時でした。最後のチャンスと覚悟を持って挑んだ大勝負。石橋騎手、人生最高の歓喜の瞬間を、今改めて振り返ります。(2/10公開Part2の続き、聞き手:東奈緒美)


◆勝利を確信した皐月賞

:メイショウサムソンが3歳になって、クラシックの年に入った時のことをお聞きしていきたいのですが。

石橋 :2歳の暮れに中京2歳Sでレコード勝ちして、その時に「わりとスピードもあるんだな」っていう印象を受けたんだけど、3歳初戦のきさらぎ賞で2着に負けたんだよね。この時は僕がミスをして、外を回りすぎてしまって、ドリームパスポートに内をすくわれる形になったんだけど、その後のスプリングSを勝った時に「皐月賞を勝てる」と思ったね。

:「勝てる」って確信されたんですね。

石橋 :うん、確信した。その当時、マスコミにそういうことは言わなかったんだけど、結果が出たから今言うんじゃなくて、あの時はすごく自信があった。スプリングSの勝ち方が良かったからね。

外枠からスムーズに好位につけられて、中山の馬場にすごく合っている脚質だなと思って。それで「皐月賞でも勝ち負けになるな」と思ったの。それに、皐月賞って弥生賞組が人気になるでしょう。

:たしかに、弥生賞を勝った豊さんのアドマイヤムーンが1番人気で、メイショウサムソンは6番人気でした。

石橋 :弥生賞の方が強いメンバーが出ることが多いから、スプリングSを勝っても、そこまでの人気にはならないなと思って。そういう面でも気楽は気楽だったからね。・・・

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東奈緒美・赤見千尋

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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