2014年06月03日(火) 18:00
■競馬学校は不合格、1年間自分と向き合って
騎手を目指すことを告げたときの母親の反応は、「はぁ?」という感じだった。祖父は喜んでくれたが、母親はもちろん大反対。母親にしてみれば、98年には実の弟(北村卓士元騎手)までもが落馬によって騎手生命を断たれ、現在も介護が必要な状態になっているのだから、息子までもが…という不安な思いは、自分がジョッキーでいる限り消えないと思う。
でも、当時の自分はあまりにも身勝手で、なると決めたからには母親を説得する気もなく、まともに話し合った記憶すらない。母親も、自分に対しては「もう知らん」という態度を取り続けていたが、陰では柴田(政人)さんや北橋先生に相談をしていたらしい。結果的に、周りの方からいろいろと話を聞くなかで、母親はいつの間にか容認してくれていた。容認というより、折れたといったほうが正しいかもしれない。
今思うと、本当にひどい子供だったと思う。5年生のとき、「おもしろくない」といって自分から乗馬を辞めたくせに、今度は勝手に騎手になることを決めて、反対する母親を説得しようともしなかった。それを聞いた母親がどんな思いでいるのか、そのときの自分には想像ができなかった。 “親の心、子知らず”とは、そのままそのときの自分だ。
今思えばだが、母親にそんな思いまでさせて騎手試験を受けると決めたのに、体育の授業で跳び箱の着地に失敗して足首を骨折。ギブスが取れたばかりの状態で、試験に挑むことになった。・・・
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2013年にJRA賞最多勝利騎手に輝き、日本競馬界を牽引する福永祐一。まだまだ戦の途中ではあるが、有言実行を体現してきた彼には語り継ぐべきことがある。ジョッキー目線のレース回顧『ユーイチの眼』や『今月の喜怒哀楽』『ユーザー質問』など、盛りだくさんの内容をお届け。
福永祐一
1976年12月9日、滋賀県生まれ。1996年に北橋修二厩舎からデビュー。初日に2連勝を飾り、JRA賞最多勝利新人騎手に輝く。1999年、プリモディーネの桜花賞でGI初勝利。2005年、シーザリオで日米オークス優勝。2013年、JRA賞最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手、初代MVJを獲得。2014年のドバイDFをジャスタウェイで優勝。
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