【祐一History vol.6】『デビューからわずか1か月で30日間の騎乗停止』

2014年06月24日(火) 18:00

祐言実行

■当時の自分にはコンプレックスしかなかった

 競馬学校での3年間を終え、96年3月2日、中京2Rでデビュー(マルブツブレベスト)し、初騎乗初勝利を挙げることができた。2戦目の3Rも連勝したのだが、そのときに騎乗したレイベストメントは、使えばいつでも勝てるような馬だったのに、先生が馬主さんにお願いして、自分のデビューまで取っておいてもらった馬だった。初日は7鞍に騎乗して2勝。1番人気2頭を含め、すべてが5番人気以内の有力馬というラインナップだった。

 その日はすごく報道陣が多くて、自分の単勝がすごく売れていることもわかっていた。ユタカさんでさえ、初日はそれほどいい馬に乗れなかったというから、そんな状況でデビューしたのは、後にも先にも自分くらいだと思う。それもこれも、父親の名前があってのことだし、先生が馬を集めてくれたからこそ。結局、デビュー週に3勝を挙げられたのだが、それで調子に乗るようなことは決してなかった。レースの結果以前に、人として父親や先生の顔に泥を塗るようなことだけはしてはいけない、迷惑をかけてはいけない──つねにそういう思いがあった。

 新人のころ、目標の騎手として挙げていたのは四位さん。“福永洋一”という答えを期待した人もいただろうが、自分は父親のレースをほとんど観たことがなかったから、そのすごさがわからなかった。当時、四位さんはよく北橋厩舎の馬に乗っていて、厩舎実習のときに大仲でお会いしたのが初対面。「福永祐一です。よろしくお願いします!」と挨拶したら、「おう!」と答えてくれたのだが、最近その話をしたら、四位さんはそのことをまったく覚えていなかった(笑)。

 当時はバレットがいなかったから、実習中の開催日は、競馬場で四位さんの身の回りのお世話をさせてもらっていた。今思えば、当時の四位さんはまだデビュー4年目。目標の騎手として4年目のジョッキーの名前が挙がることなどまずないが、四位さんは当時からそれほどかっこよかったのだ。

祐言実行

▲福永「四位さんが目標だった、それほどかっこよかった」

 3月2日のデビューから約1カ月、1回中京8日間で12勝を挙げ、開催リーディングを取ることができた。が、3月27日の中京7Rで大きなミスをやらかし、おそらく当時の騎乗停止期間としてはマックスとなる30日間の騎乗停止になった。・・・

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祐言実行とは

2013年にJRA賞最多勝利騎手に輝き、日本競馬界を牽引する福永祐一。まだまだ戦の途中ではあるが、有言実行を体現してきた彼には語り継ぐべきことがある。ジョッキー目線のレース回顧『ユーイチの眼』や『今月の喜怒哀楽』『ユーザー質問』など、盛りだくさんの内容をお届け。

福永祐一

1976年12月9日、滋賀県生まれ。1996年に北橋修二厩舎からデビュー。初日に2連勝を飾り、JRA賞最多勝利新人騎手に輝く。1999年、プリモディーネの桜花賞でGI初勝利。2005年、シーザリオで日米オークス優勝。2013年、JRA賞最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手、初代MVJを獲得。2014年のドバイDFをジャスタウェイで優勝。

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