また名馬が天に

2014年09月13日(土) 12:00


◆名馬の訃報が多い今年、個人的に思い出深いのは…

 1996年のダービー馬フサイチコンコルドが、今月8日、繋養先の青森県おいらせ町の太田ファームで死亡した。21歳だった。

 フサイチコンコルドは、いろいろな意味で、競馬界に強烈なインパクトを与えた。

 デビュー3戦目でダービーを勝ったのだが、新馬−すみれステークス−ダービーというローテーションは、誰がどう見ても厳しいというか、苦しいと思われた。にもかかわらず、武豊・ダンスインザダークを直線で鮮やかに差し切ってしまった。

 私は当時、この馬に関する記事を読んで、「逆体温」というものがあることを初めて知った。午前中のほうが午後より体温が高くなってしまうのだという。

 競走馬としては強かったのだが、体質は弱かった。皐月賞を回避した理由が「長時間輸送に対する不安」だった。実際、プリンシパルステークスに出ようと栗東から東京まで輸送したのだが、熱発のため回避した。

 これだけ順調さを欠きながら、あの強さ。持っているもののクオリティが、よほどずば抜けていたのだろう。

 この馬の母バレークイーンは、92年12月、ノーザンファーム代表の吉田勝己氏が、英国タタソールズのセリで購入してきた馬だ。父サドラーズウェルズ、母が英オークスなどを勝った名牝サンプリンセスという良血で、お腹のなかにカーリアンの初仔がいた。それがフサイチコンコルドである。

 その後、バレークイーンは、07年の皐月賞馬ヴィクトリーの母グレースアドマイヤ、09年の皐月賞馬アンライバルドなどを産んだ。

 吉田氏は、バレークイーンを購入したタタソールズのセリで、もう一頭の牝馬を買ってきた。ローザネイ。そう、「バラ一族」の基幹となる牝馬である。

 フサイチコンコルド自身、種牡馬としてバランスオブゲーム、ブルーコンコルドなどの重賞勝ち馬を出し、ブルードメアサイヤーとしても血を残しているが、母バレークイーンの血のひろがりもまた大きい。

 今年は名馬の訃報が多い。

 フサイチコンコルドは、少ないキャリアで大レースを制したことから「和製ラムタラ」と呼ばれていた。ラムタラは、2戦目で英国ダービー、3戦目でキングジョージVI&クイーンエリザベスステークス、4戦目で凱旋門賞を制した「奇跡の馬」だった。

 イギリスで1年供用されたのち日本で種牡馬となったが、期待されたほどにはいい仔を出せず、晩年イギリスに買い戻された。

 そのラムタラも、今年7月6日、22歳で世を去っている。

 1月30日には、95年の天皇賞・秋を勝ったサクラチトセオーが24歳、2月28日には92年のエリザベス女王杯を勝ったタケノベルベットが25歳、3月28日には88年の皐月賞や90年の天皇賞・秋などを勝ったヤエノムテキが29歳、4月2日には95年に笠松から桜花賞などに挑戦して注目されたライデンリーダーが22歳、8月6日には97年のエリザベス女王杯を勝ったエリモシックが21歳、翌7日には89年の安田記念、90年のスプリンターズステークスなどを制したバンブーメモリーが29歳で亡くなった。

 個人的に思い出深いのは、ヤエノムテキとバンブーメモリーの2頭の栗毛馬だ。

 ヤエノムテキはマイルから2000メートルぐらいまでなら安定して力を出し、特に東京コースで強さを発揮した。競馬人気がピークに達しようとしていた時代、オグリキャッやサッカーボーイといった同期のスターホースと勝ったり負けたりを繰り返した。

 ヤエノムテキのレースのなかでも特に忘れられないのは90年の天皇賞・秋だ。パドックで、

 ――なんであんな歩き方をしているんだろう。

 と不思議に思ったほど、首をゆったりと伸ばして低く下げ、静かに前を見つめ、大股で周回していた。

 そうしたら、圧倒的1番人気に支持されていたオグリキャップ(6着)らを相手に好位から抜け出す横綱相撲で勝った。

 単勝8.0倍の3番人気だったので、まったくの人気薄だったわけではないが、ヤエノムテキが見せた首を前に出す歩き方は、馬の具合がいいときの歩き方の典型として、私の脳にインプットされた。

 そのレースで3着だったのが、同い年のバンブーメモリーだ。

 この馬は、旧5歳の3月までダート戦にしか出たことがなかった。その年、芝に路線変更して3戦目の安田記念を勝ったのだから、フサイチコンコルド同様、もともと持っていたものが違ったのだろう。

 なぜ急に芝のGIを勝つほど成績がよくなったのか武豊騎手に訊いたら、

「今まで脚に痛いところがあったのがよくなって、思いっきり走れるようになったからでしょう」

 とのことだった。

 芝の強豪をブッコ抜くだけの能力を持っていながら、脚が痛くて全力で走れず我慢していたのかと思うと、なんとも言えず愛おしく感じられた。

 私は、栗東・武邦彦厩舎の馬房で何度かこの馬に触ったことがある。そのたびにかじられそうになったのが懐かしい。

 毛色も顔つきもまるで異なるが、馬格があって、スタミナはあまりない代わりにスピードとパワーと瞬発力は凄まじく、人間のことが好きなのにガブッとやりにくるあたり、私のなかではスマイルジャックとキャラがかさなっている。

 天国で、のんびり過ごしてほしいと思う。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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