2014年10月14日(火) 18:00
▲“有力馬への騎乗が途切れなかったいい時代”に得た財産とは
のちに大きな影響を受けることになる岩田くんが、中央に頻繁に乗りにくるようになったのが2002年。ただ、正直移籍してくる前の岩田くんには、それほど強烈なイメージはない。それは、岩田くんがどうこうではなく、自分自身、技術について今ほど深く考えずに、ノリノリで乗っていた時代だからだ。
思えば、安藤(勝己)さんが中央で数多く乗り始めたのが1998年。自分がデビュー3年目のころだ。翌年以降、安藤さんの騎乗数はさらに増え、どんどん活躍の場は広がっていった。それが小牧さん、岩田くんに繋がっていったわけだが、当時の彼らについて評価を求められたとき、多くの人が「地方のジョッキーはJRAのジョッキーと違って、ハングリー精神がすごい」「地方のジョッキーは馬に乗っている数が違うから巧い」と口をそろえた。
でも、自分はそうは思わなかった。「地方の巧い人が乗りにきた」、それだけのことだと思っていた。その考えは今でも変わらない。海外でも中央でも地方でも、巧い人は巧いし、下手な人は下手だ。確かに、中央より地方のジョッキーのほうが、調教を付ける頭数もレースでの騎乗数も圧倒的に多いけれど、だからといって、すべてのジョッキーが巧いわけではない。
安藤さんについては、「馬をきっちり抱え込んで動かすジョッキー」というイメージを持っていた。ただ、自分自身、理論付けて馬に乗っていたわけではなかったから、当然、それ以上解析する能力もなく、大きいレースをバンバン勝つ姿や連対率の高さを見て、ただただ「すごいなぁ」と思っていたというのが正直なところだ。
2002年から2005年あたりは、ピースオブワールド、エイシンチャンプ、ネオユニヴァース、サニングデール、ラインクラフト、メイショウボーラー、シーザリオなど、有力馬への騎乗が途切れなかったいい時代。北橋厩舎、瀬戸口厩舎では調教から自分が乗れる環境にあったし、レースでも乗り替わりがほとんどなかったから、“馬に競馬を教える”ということを学んだ時期でもあった。
今はそれがなかなか難しい時代だが、こればかりは経験がモノをいう。当時・・・
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2013年にJRA賞最多勝利騎手に輝き、日本競馬界を牽引する福永祐一。まだまだ戦の途中ではあるが、有言実行を体現してきた彼には語り継ぐべきことがある。ジョッキー目線のレース回顧『ユーイチの眼』や『今月の喜怒哀楽』『ユーザー質問』など、盛りだくさんの内容をお届け。
福永祐一
1976年12月9日、滋賀県生まれ。1996年に北橋修二厩舎からデビュー。初日に2連勝を飾り、JRA賞最多勝利新人騎手に輝く。1999年、プリモディーネの桜花賞でGI初勝利。2005年、シーザリオで日米オークス優勝。2013年、JRA賞最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手、初代MVJを獲得。2014年のドバイDFをジャスタウェイで優勝。
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