マイシンザンとワイルドブラスター

2004年02月02日(月) 17:46

 昨年11月、門別町の「名馬のふるさとステーション」が閉鎖され、14頭いた名馬たちが一時的に静内町の藤沢牧場川合分場へと移動した。その後、有志がこれらの名馬たちの新たな引き取り先を探して最終的に10頭が乗馬クラブや生産牧場などへ旅立って行った。(現在は4頭が残っているという)

 浦河にもマイシンザンとワイルドブラスターの2頭が移動し、町の乗馬公園で元気に暮らしている。この2頭を引き取ったのは、「北海道ホースマンアカデミー」(門別町)で教官として勤務していた本多列央(れお)さんと妻の敏江さん。二人とも乗馬歴が長く、アカデミーに勤務する前には茨城県下の乗馬クラブでともに働いていた。キャリアを買われ、アカデミー開校後にはるばる北海道へとやってきたのである。

 列央さんは慶応義塾大学で馬術部の主将を務めた経歴を持つ。敏江さんも中学時代から自馬を乗馬クラブに預けて練習に明け暮れていたほどだとか。

 そんな彼らがアカデミーに勤務し始めたのは一昨年秋(敏江さんはやや遅れて昨年1月になってから)だが、ほどなく給料が遅配するようになった。昨年9月に同校が休校状態に陥り、ひとしきりマスコミを賑わせたまさしく「渦中」にいたわけである。「このままこの学校にいても生活できない」と考えた彼らは、新たに職場を探し始めた。そしてたどり着いたのが浦河のA育成牧場。

 その後アカデミーは経営陣も一新し、昨年暮れより再スタートを切っているが、二人はそのまま浦河にとどまり、アカデミーの生徒たちが事実上馬の世話をしていた「名馬のふるさとステーション」の馬たちを何頭でも引き取りたいと考え始めた。

 そんな折、元「ふるさとステーション」在厩馬の新たな引き取り手を探しているというニュースが舞い込み、マイシンザンとワイルドブラスターの2頭を自分たちで引き取る決意を固めたのである。

 とはいえ、まずは両馬の暮らす「住居」を確保しなければならない。そこで馬房の空いていた浦河町乗馬公園に「間借り」することにした。家賃は1馬房あたり月に3万円。2頭で6万円となる。そして、馬房に敷く敷料(オガクズを使用している)や飼料などで、毎月計13〜14万円ほどが消えることになった。

 共稼ぎで育成牧場に勤務しているので、2頭の面倒を看るのは早朝と昼休み、そして仕事の終わった後の一日3回。もちろん本業優先なので仕事の時間の合間を縫うようにして乗馬公園に通う。経済的にはもちろん肉体的にもかなりの負担である。

 しかし、彼らはそれを決して苦にはしていないように見える。環境の激変から、ことさら消耗が目立っていたマイシンザンの体力もようやく回復し、そろそろ騎乗を始めたそうである。2頭とも未だ去勢をせず、牡馬のままだが、夫妻によれば「去勢の必要はない」とのこと。乗馬として訓練を続け、やがては競技に出られるようになる日を夢見ているそうだ。

 マイシンザンは14歳。ワイルドブラスターは12歳。ともに元種牡馬である。一度種付けを経験すると馬がとてもうるさくなる、というのが生産地での常識だが、彼らに言わせると、それは「あまり心配していない」とか。それより、一部報道で「2頭が浦河町乗馬公園に移動した」事実だけを流されたため、問い合わせが町や乗馬公園そのものに寄せられてしまい、とても迷惑をかけてしまった、と表情を曇らせた。

 個人が引き取り、ここに間借りしているだけ、というニュアンスを正確に伝えるのは難しいが、見学は一応可能である。ご希望があれば静内の「競走馬ふるさと案内所」などに問い合わせた上でコンタクトを取ることをお勧めしたい。

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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