■第6回「転身」

2015年03月23日(月) 18:01

【前回までのあらすじ】
容貌魁偉の調教師・徳田伊次郎、32歳。亡き父の跡を継ぎ、南関東で厩舎を構えている。厩舎は三流で、従業員は無気力。厩舎改革を決意した伊次郎は、ベテラン厩務員のセンさん、元ヤンキーのゆり子、そして、ぐうたら厩務員の宇野と初めて膝を突き合わせて話をした。その翌日、近くの定食屋の厨房に、宇野と別れたばかりの美香がいた。


「いやあ、旦那も隅に置けませんなあ」

 定食屋の店主が、伊次郎に向けた丸い顔をほころばせた。厨房で美香が流した涙を見て何か勘違いしたらしい。

「おれが女を泣かせるように見えるか」
「……い、いや、めっそうもない」

 泣かせるように見えたから言ったはずなのに、慌てて首を横に振っている。

「いくらだ」
「え、そんな……」

 身請けの額でも訊かれたと思ったのか、絶句する店主に伊次郎は言った。

「おれが食ったしょうが焼き定食は、いくらなんだ」
「あ、ああ、それなら750円です」

 美香に声をかけるべきかどうか迷いながら、そのまま店を出た。

 競馬場からこんなに近いところで働いているということは、美香は、宇野とやり直したいと思っているのだろうか。・・・

続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

登録済みの方はこちらからログイン

バックナンバーを見る

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆〜走れ奇跡の子馬』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

関連情報

新着コラム

コラムを探す