2015年05月30日(土) 12:00
私が初めて馬券を買ったレースは、ニッポーテイオーが逃げ切った1987年の天皇賞・秋だった。その87年というのは、日本の競馬界にとって、実に大きな出来事のあった年だ。3月には武豊騎手がデビューし、4月から日本中央競馬会がCI戦略で「JRA」の略称を用いるようになった。
まもなく23歳の誕生日を迎えようとしていた私は、フジテレビの「FNNデイトライン」という、当時同局のアナウンス部長だった露木茂さんがメインキャスターをつとめる報道番組の特集枠の取材・構成スタッフとして働きはじめた。
確か、スタッフとして加わった初日のことだった。まだ新宿区河田町にあったフジテレビの報道局で、いろいろな人に紹介してもらって挨拶をし、与えられた席につくと、隣の席にいたウメさんという、今は放送作家をしている先輩スタッフが、やけに紙質のいいタブロイド紙のようなものに見入っていた。
「ウメさん、それ、なんスか」と私が訊くと、ウメさんはキラリとメガネを光らせた。
「競馬新聞だよ」
「ケイバですか。ケイバって……」
「100円が1万円になる遊びだよ」
「エーッ、そんなものが世の中にあるんですか!?」
「あるんだな、これが」と、ウメさんは、万馬券をゲットした自慢話をいくつも聞かせてくれた。
私は「競馬場」というものの存在は知っていたし、故郷の札幌競馬場にも一度だけ行ったことがあった。サッカー少年団に入っていた小学校6年生のとき、市民大会か何かの試合が競馬場のおそらく内馬場であり、ボロの匂いをかいだ記憶がある。
しかし、どういうわけか、私は、馬が走って競走することを「ダービー」と言うのだと思い込んでいた。「クイズダービー」という人気番組があったことなども影響していたのかもしれない。
ダービーが、競馬のなかのひとつのレースであることを知ったのは、ウメさんと競馬についていろいろ話すようになってからだった。
ニッポーテイオーが秋天を勝ったのは11月1日。翌日23歳になった私は、翌12月に担当番組で競馬特集をすることになったので、有馬記念の追い切り取材で美浦トレセンに行き、オンエアの前後、ゲストの「ミスター競馬」野平祐二調教師(当時)と話すことができるなど、スタートから幸運に恵まれた。
ウメさんの影響で、寺山修司やディック・フランシスなどの作品を読みあさるようになり、「コビさん」こと小桧山悟調教師(当時は調教助手)を紹介してもらい、コビさんに武豊騎手のアメリカ遠征に同行できるようにしてもらい……以下略……という感じで現在に至っている。
競馬を始めたのが87年の秋だから、きちんと意味を理解してダービーを見るようになったのは、翌88年、サクラチヨノオーが勝った第55回日本ダービーからであった。
実は私は、その後20年近く、自分が競馬を始めた時期をハッキリとは言わず、「1980年代」とか「80年代後半」といった、幅のある言い方をすることが多かった。
というのは、競馬についていろいろ知りはじめて、わかったふりをしたくて仕方がなかった私にとって、84年に無敗の三冠馬となったシンボリルドルフをリアルタイムでは知らないということが、ものすごく大きなコンプレックスになっていたからだ。
同じように競馬が好きな目上の人と話して、せっかく背伸びできたのに、「エッ、ルドルフのレースを見てないの?」のひと言で、ドーンと距離ができてしまうのを、何度も感じて、寂しくもあり、悔しくもあった。
ルドルフは、ダービーで、鞍上の岡部幸雄騎手(当時)が仕掛けても「まだ早い」と動かず、スパートすべきところで自分から動いて勝った。名馬は名手に競馬を教えるのだ――という話を聞いたときなどは、そのダービーをライブで見た人たちを心底羨ましく思った。
その「ルドルフコンプレックス」に触れずに済むようにするために、先述したように競馬を始めた時期をボカしていたのだが、そんな状態から私を解放してくれたのもまた、一頭の歴史的名馬のダービーだった。
ディープインパクトが圧勝した、2005年の第72回日本ダービーである。
武騎手を背にしたディープは、府中の直線を飛ぶように伸び、前の馬を一気にかわして突き抜けた。その姿を見て、自分がこのダービーの目撃者となれた幸福感に浸り、
――おれはディープを知っているんだ。
という誇らしさを胸いっぱいに感じているうちに、自然とルドルフコンプレックスが消えてしまったのだ。
名馬というのは、そうちょくちょく現れるものではない。だから、私は20年近くもルドルフコンプレックスを感じつづけることになったわけだが、ひょっとしたら、ディープの走りをリアルタイムで見ていない20代や30代の人のなかには、私のルドルフコンプレックスと同種の「ディープコンプレックス」を感じていた人もいたのかもしれない。
しかし、そうした人たちの多くが、2011年、オルフェーヴルが勝った第78回日本ダービーを見てコンプレックスから自由になったのではないか。いや、オルフェは、引退レースとなった2013年の有馬記念で、その種のややこしいものをすべて吹き飛ばしてくれた、と見るべきか。
今年の第82回日本ダービーは、ルドルフはおろか、ディープもオルフェも知らないという人が見て、
――私はこの名馬がダービーを制する瞬間を目撃できただけでいい。
と思えるレースになるだろうか。
名馬は、そのダービーを、観客ひとりひとりにとって特別なものにしてくれる。
私は、今年のダービーを、72年前に史上最年少の20歳3カ月で勝った前田長吉の兄の孫の前田貞直さんとともに見る。貞直さんがいつも持ち歩いている長吉の写真も一緒なので、長吉と見る、と言えるのかもしれない。
私にとって、今年のダービーは、ゲートがあく前から特別なダービーになっている。
……と、ここまで書いて、「私にとって」というのは、ちょっと違うような気がしてきた。
2015年5月31日に東京競馬場を訪れた人みなが、貞直さんと、そして長吉と(ついでながら私とも)同じダービーを見るわけだから――。
メディアを通じて観戦する人も含めたすべての人にとって、ゲートがあく前から特別なダービーだ、と言うべきだろう。
そもそも、特別ではないダービーなんてないのだが、ともかく、第82回日本ダービーのスタートが楽しみでならない。
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島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。 関連サイト:島田明宏Web事務所
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