『パパは僕のヒーロー』息子の想いを胸に、騎手から調教師への転身

2015年06月09日(火) 18:00

佐藤博紀調教師

佐藤博紀調教師


 17年間の騎手生活を終え、新たなスタートを迎えた川崎の佐藤博紀調教師。わたしにとっては68期騎手候補生として、2年間苦楽を共にした大切な仲間です。騎手として、そして父として頑張って来た佐藤調教師に、現在の心境をお聞きしました。

赤見:調教師免許試験合格、おめでとうございます! このタイミングで騎手を引退して、調教師になろうと思ったキッカケは何だったんですか?年齢的には早いですよね。

佐藤:ちょっと早いですかね。もともと調教師に成りたいというビジョンはあったんです。30歳過ぎた頃から考えるようになって、本格的に考え出したのは去年の函館のトレーニングセールに行ったことがキッカケでした。セールの馬に騎乗しに行ったんですけど、基本的に南関東の乗り役って、月曜から金曜まで競馬で、土日は体を休めるっていうサイクルなんで関東から出る機会がなかなかなくて。それで、函館のセリに行ってみたら自分の知らない世界で、それを見たらもっと馬の見識を広げたいっていう気持ちが大きくなりました。馬を育てたいっていうのももちろんあるけど、見識を広げたいっていうのも大きいですね。

赤見:騎手を辞めるというのは大きい決断だったと思います。乗り馬もいたし、成績も安定していたのに。

佐藤:そうですね、確かに飯は食えたけど、このタイミングなのかなって思いました。35〜40歳のうちにはやりたいなって思って、どうせやるなら早い方がいいかなと。

赤見:騎手として未練はないですか?

佐藤:ないです。自分の中ではやり切ったという気持ちです。まぁ別に騎手が嫌になって辞めたわけじゃないし、馬乗りが嫌でとかではないので。ただ、騎手としての最後の日はこみ上げるものがありました。合格発表(3月18日)が終わってから引退(3月31日)まですぐだったからか、それまでは全然実感がなかったんですよ。でも最後のレースの時は、馬に跨ってコースから競馬場全体を見渡したら「これで終わりなんだ」って気持ちになって。ファンの方やマスコミの人もたくさん応援してくれて、ジーンと来ましたね。

赤見:ご家族も駆け付けてましたね。

佐藤:家族には本当に感謝してます。今までも応援してくれたし、調教師になるっていって、家族との時間も割いて勉強していた時も協力してくれました。騎手を引退してから開業までは無収入なわけですけど、嫁さんは文句も言わずに今まで通り頑張ってくれて。本当に感謝ですね。

赤見:息子の翔馬くんはパパに憧れて騎手を目指しているんですよね? ジョッキーベイビーズにも出場して。

佐藤:そうなんです。嫁も息子も娘もみんな乗馬をしてて、みんな馬好きなんですよ。翔馬は…調教師になって欲しくなかったみたいなんです。まだ騎手としてやってて欲しかったみたいで。僕が、「調教師になろうと思うんだけど、翔馬はどう思う?」って聞いた時は、「頑張って。応援してるよ」って言ってくれたんだけど、僕がいない時に嫁と2人で話し合った時、「パパにはああ言ったけど、本当は騎手辞めて欲しくないんだよね」って言ってたらしくて。いっちょまえに気を使ったんですよね。それを聞いて、ジーンとしちゃいました。

赤見:翔馬くんにとって、パパはヒーローですもんね。

佐藤博紀調教師

佐藤博紀調教師と翔馬くん(撮影:秋田 奈津子)

佐藤:そうなんですかね(照)。まぁでも、最初に騎手になりたいって言われた時は複雑な気持ちでした。騎手っていう仕事は華やかな面もあるけど、それだけじゃないじゃないですか。ケガもあるし、精神的にもキツい部分もあるから。自分が知ってる分、この世界に入らなくても…って思います。今でも、嬉しい反面複雑な部分はありますね。

赤見:調教師としてはいつ頃開業予定ですか?

佐藤:今のところ、7月に馬房を割り振ってもらって、実際に競馬に使うのは8月の予定です。それまではいろいろなところで研修させてもらってるんですよ。美浦トレセン(斎藤誠厩舎)、ノーザンファーム空港、川崎開催臨場、ノーザンファーム早来、門別競馬場(田中淳司厩舎)という感じで6月の半ばくらいまで行ってます。もうね、楽しくてしょうがないんですよ。調教師としての研修なんですけど、一人の馬のりとして世界が広がって行くのが本当に楽しくて。行く先々の皆さんによくしていただいて、毎日がすごく楽しいです。

赤見:かなりいろいろなところに行きますけれども、どんなご縁で繋がったんですか?

佐藤:実は、息子のジョッキーベイビーズ繋がりなんです。斎藤先生の息子さんも出場した年があって、馬事公苑の予選の時からお会いして、いろいろお話をさせてもらってて。人柄も素晴らしいし、調教師としても尊敬していたので、今回研修をお願いしたんです。

赤見:翔馬くんのお蔭で繋がった縁だったんですね!

佐藤:そうなんですよ。息子に感謝ですね。

佐藤博紀調教師

美浦トレセンで研修中の佐藤博紀調教師

赤見:佐藤調教師…と呼ぶのはなんだか不思議な感じがしますけれども(笑)。南関東で活躍する同期の繁田健一騎手は何か言ってました?

佐藤:前から相談していたので、特に合格してからはないですね。若い頃はけっこう意識してたんですけど、30過ぎてからはライバルっていうよりいい相談相手なんです。お互いの将来について語り合ったりして。

赤見:そんな大人の会話を2人がしているところが想像できないです(笑)。

佐藤:何その母親のような目線(笑)。出会った頃は16歳だったから、まぁお互い大人になりましたねぇ。

赤見:なりましたねぇ。あれから約20年も経つなんて…怖! 実際に調教師として歩き始めて、今の感触はどうですか?

佐藤:これからは人も育てて馬も育ててですからね。甘くは考えてなかったけど、やっぱり大変な部分はありますね。乗り役は鞍が3つあって馬に乗ってたら生計が立てられるけど、調教師は厩舎構えて馬具揃えて人も雇って…やることがいっぱいです。でも今は、自分の管理馬で走らせたいっていう気持ちが強くなりましたね。川崎で臨場しても、乗りたいなっていう気持ちじゃなくて、走らせたいっていう気持ちの方が強いです。

赤見:本当に騎手としての未練はないんですね。

佐藤:そうですね。ここまで17年間、精いっぱいやれたので。いいこともあったし、そうじゃないこともあったけど、自分らしく一生懸命やってこられたので悔いはないです。ただ、僕は川崎騎手会の副会長だったんですけど、もう少しファンサービス的なことができたんじゃないかと。そこは今でも悔いが残りますが、今後調教師としてファンサービスを考えていきたいです。

赤見:では、ファンのみなさんにメッセージをお願いします。

佐藤:やる以上は成績を残したいので、目標は南関東で一番のトレーナーになることです。亡くなった川島正行先生のように、馬作りもそうだけど、義理人情を大事にする、そういう人になりたいです。応援してくれているファンの方々には本当に感謝しています。いつかスターホースを育ててウイナーズサークルに戻って来ることを約束します!

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常石勝義

常石勝義
1977年8月2日生まれ、大阪府出身。96年3月にJRAで騎手デビュー。「花の12期生」福永祐一、和田竜二らが同期。同月10日タニノレセプションで初勝利を挙げ、デビュー5か月で12勝をマーク。しかし同年8月の落馬事故で意識不明に。その後奇跡的な回復で復帰し、03年には中山GJでGI制覇(ビッグテースト)。 04年8月28日の豊国JS(小倉)で再び落馬。復帰を目指してリハビリを行っていたが、07年2月28日付で引退。現在は栗東トレセンを中心に取材活動を行っているほか、えふえむ草津(785MHz)の『常石勝義のお馬塾』(毎週金曜日17:30〜)に出演中。

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