2015年06月09日(火) 18:01
▲4着に終わったダービー、レース直前の作戦と結果を受けての心境を語る
2番人気の支持を受け、自分としても大きな手応えを持って挑んだ第82回日本ダービー。結果、馬券圏外の4着に敗れてしまったこと…、本当に申し訳なく思っている。
報道された通り、その後、レース中に骨折していたことがわかった。パドックや返し馬はもちろん、レース中もとくに違和感は感じなかったが、馬には確実に痛みがあったはず。そう考えると、痛がる素振りを見せることもなく、最後まで本当によく頑張ってくれたと思う。
皐月賞のように好位から早めに抜け出しを図るか、あるいは中団で脚をタメて、最後に切れ味を引き出すか──戦い方は2つに一つだったが、レース前に矢作先生には、「中団くらいから行って、最後の脚を生かす競馬をしようと思います」と伝えてあった。ライバルのドゥラメンテは、スタート次第でどんな競馬をするかわからない。ただ、舞台は東京の2400mであり、最後の最後に切れる脚を使わせることでしか勝負できないんじゃないかという思いがあった。
その腹が決まったのが返し馬。調教で感じたような“弾むような返し馬”ができればいいなと思っていたが、正直、そこまでの感触は得られなかった。
まだ前のめりに走るところがあり、こういったタイプは、コーナー4つのコースで先行させると得てして脚がタマりにくい。「正攻法で行ったら、最後に失速してしまうかも…」と感じさせる走りであり、やはり、今日のところはいつもより後ろからタメていくのがベストだと判断した。・・・
続きはプレミアムサービス登録でご覧になれます。
登録済みの方はこちらからログイン
バックナンバーを見る
このコラムをお気に入り登録する
お気に入り登録済み
お気に入りコラム登録完了
福永祐一「祐言実行」をお気に入り登録しました。
戻る
※コラム公開をいち早くお知らせします。※マイページ、メール、プッシュに対応。
2013年にJRA賞最多勝利騎手に輝き、日本競馬界を牽引する福永祐一。まだまだ戦の途中ではあるが、有言実行を体現してきた彼には語り継ぐべきことがある。ジョッキー目線のレース回顧『ユーイチの眼』や『今月の喜怒哀楽』『ユーザー質問』など、盛りだくさんの内容をお届け。
福永祐一
1976年12月9日、滋賀県生まれ。1996年に北橋修二厩舎からデビュー。初日に2連勝を飾り、JRA賞最多勝利新人騎手に輝く。1999年、プリモディーネの桜花賞でGI初勝利。2005年、シーザリオで日米オークス優勝。2013年、JRA賞最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手、初代MVJを獲得。2014年のドバイDFをジャスタウェイで優勝。
レース結果
日本ダービー全着順・払戻金
レース回顧
日本ダービーの寸評・回顧
コラム
松田博師、最後のダービーに向ける関係者の想い
ニュース
嘉藤騎手、初ダービーを振り返る「またあの舞台に」/美浦トレセンニュース
競輪
競輪を気軽に楽しもう!全レース出走表・競輪予想、ニュース、コラム、選手データベースなど。