2015年07月21日(火) 18:01
▲長らく独身だったのはなぜなのか…意外な恋愛遍歴が明かされる
実は32、33歳のころ、ものすごく結婚したくなった時期がある。とにかく自分は子供が大好きで、当時から甥っ子、姪っ子が可愛くて可愛くてたまらなかった。だから、自分も早く子供がほしかったし、35歳までには結婚したいなぁという思いがすごく強くなった時期だ。
だから、次にお付き合いをする人とは、結婚を前提にお付き合いを始めようと決めていた。が、そういうときに限ってというべきか、なかなかいい出会いに恵まれず…。「俺はもう、結婚できんのやな…」。本気でそう思ったものだ。実際、彼女がいなくても楽しく過ごしていたし、こんな人生もありかなと思ってひとりで生きていく準備をし始めた頃、細江(純子)さんの結婚式で初めて妻と出会った。
それにしても、まさか自分が36歳まで独身でいるとは思わなかった。我が強かったし、自分本位に生きてきたのは間違いないが、今思えば、相手にもう一歩踏み込むことができなかった。となれば、当然相手も踏み込んでこないから、それ以上進展するはずもない。
自分は基本的に“ダメ出し”をされるのが苦手だ(笑)。恋愛に対してもそうで、とにかく傷つきたくなかったのだ。それには、過去の失恋が尾を引いているところがある。いわゆるトラウマっていうやつだ。
中学2年生のとき、一つ下の子を好きになった。遅いと言われるかもしれないが、それが自分のれっきとした初恋だった。確かどこかに呼び出して「付き合ってください」と告白したのだが、彼女の答えは「ごめんなさい」。まぁ、ここまでならよくある話だ。が、どうしてもあきらめられなかった自分は、立て続けに二度告白し、いずれも結果は惨敗。記念すべき初恋の女の子に、短期間で三度もこっぴどく振られたわけだ。
最後にはその子に避けられるようになり、そこで初めて「ああ、俺は嫌われてるんだ」と気付き(笑)、ようやくあきらめがついた。ハートが強いというかなんというか…、今思うとまるでストーカーのようだ(笑)。今でこそ笑い話だが、当時は相当に傷つき、「もう振られるのは絶対に嫌だ。これからは振る側に回ろう」と心に誓うまでに。
今思うと非常に恥ずかしいが、恋愛に対して幼稚で屈折した感情を抱いたままジョッキーとなり、いつしか仕事中心の生活になっていった。だから、少なくとも20代前半のうちは、その出来事がトラウマになっていたというか、恋愛に対して屈折した思い込みがあったと思う。
だから、20代のうちに妻と出会っていたら、もしかしたらうまくいかなかったかもしれないし、それ以前に選んでもらえなかったと思う。そして、30代半ばに彼女とお付き合いすることになるわけだが、・・・
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2013年にJRA賞最多勝利騎手に輝き、日本競馬界を牽引する福永祐一。まだまだ戦の途中ではあるが、有言実行を体現してきた彼には語り継ぐべきことがある。ジョッキー目線のレース回顧『ユーイチの眼』や『今月の喜怒哀楽』『ユーザー質問』など、盛りだくさんの内容をお届け。
福永祐一
1976年12月9日、滋賀県生まれ。1996年に北橋修二厩舎からデビュー。初日に2連勝を飾り、JRA賞最多勝利新人騎手に輝く。1999年、プリモディーネの桜花賞でGI初勝利。2005年、シーザリオで日米オークス優勝。2013年、JRA賞最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手、初代MVJを獲得。2014年のドバイDFをジャスタウェイで優勝。
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