2015年08月24日(月) 18:01
【前回までのあらすじ】 容貌魁偉の調教師・徳田伊次郎、32歳。亡き父の跡を継ぎ、南関東で6馬房の厩舎を構えている。厩舎は三流で、従業員は無気力。伊次郎は厩舎改革にとりかかる。まずは牝馬のシェリーラブが厩舎初勝利を挙げ、次に出走したトクマルは惜しい2着。急にレースぶりがよくなった徳田厩舎に売り込みをかけてきた一流騎手の矢島を、伊次郎は起用する。そのレースで、矢島は激しく僚馬に競りかけたが、実は、後続を欺くために「追うふり」をしていただけだった。
藤村のシェリーラブが、矢島のクノイチより半馬身ほど前に出たまま最後の直線に入った。男前の若手が乗る内の芦毛馬と、悪人顔のベテランが乗る外の黒鹿毛馬は、スタンドから見ると、その好対照ぶりがいちだんと目につく。
今はもう矢島は追うふりをしていない。手綱をガチッと抑えたままシェリーラブの外に併せ、その差を首、頭、鼻……と縮め、完全に横並びになった。
2頭のストライドが完全に重なった。
ダカダン、ダカダン……と完歩を伸ばすリズムはまったく一緒だ。
――こうしていると、どちらも伸びるぞ。
と矢島が、クノイチだけではなく、内の藤村とシェリーラブにも語りかけながら乗っているかのように見える。
ダカダン、ダカダン……。
5馬身以上後ろにいる3番手以下の馬たちは、2頭の徳田勢との差を詰められずにいる。
藤村が手綱を操作し、シェリーラブの手前を左に替えた。一致していた2頭の完歩がわずかにズレた。次の瞬間、伊次郎は思わず「あっ」と声を上げた。
鞍上の意思なのか、それとも鞍下、つまり馬の本能なのかはわからないが、また2頭が完歩を合わせたとき、いや、合わせようとしたとき、伊次郎も予期していなかった齟齬が生じた。
蹄音のリズムは一致しているのに、シェリーラブが後退して……いや、外のクノイチがじわじわと前に出ていくのだ。
得意の左手前に戻したぶん優位にレースを進められるはずだったシェリーラブの藤村の焦りが伝わってくるかのようだった。
――なぜだ?
と自問したのは、見た目の答えがあまりに明らかだったからだ。・・・
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島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆〜走れ奇跡の子馬』。 関連サイト:島田明宏Web事務所
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