稍重くらいの馬場なら中央場所でも侮れない/新潟記念

2015年09月07日(月) 18:00


見た目よりはるかにタフだった馬場コンディション

 18頭立てながら、ハンデの上下差がわずか5キロ(53-58)にとどまった大混戦を象徴するように、人気は大きく分散した。結果は、上位5番人気までに支持された注目馬はすべて着外。逆に掲示板に載った5頭は、すべて6番人気以下の伏兵だった。

 接近した力関係に大きく明暗を分けた要因は、野芝で路盤の水はけのいい馬場状態は「稍重」でも、週末の雨の影響に加え、午後から雨足の強くなった表面の芝はたっぷり水分を含み、見た目よりはるかにタフな馬場コンディションだったことだろう。

 芝の馬場状態が直前の10Rから「稍重」になって評価が上がったのは、先行してしぶとく粘るマイネルミラノ(父ステイゴールド)。実際、事実上のレースの主導権をにぎったのは同馬で、2番手から抜け出し寸前まで粘ったマイネルミラノの前後半1000mは、推定「59秒5-58秒7」=1分58秒2(上がり34秒6)だった。  重巧者アーデントにハナは譲ったものの、緩い芝状態を気にした馬が多いコンディションだったうえ、先行馬が少なかった。自身が気負ってペースを上げ過ぎてしまった函館記念と異なり、今回はペースを落とし、全体バランスとするとスローにも近い流れを作り、先行抜け出しに成功。寸前までは勝ったにも等しい内容だった。直線の長い新潟だからこそ、また雨で緩くなったコンディションだからこそペースを落とすことができ、望外のスローに近い流れ。柴田大知騎手が「あれで差されたのは口惜しい…」、残念がるのも当然、今回はめったに訪れることのないほど条件のそろった初重賞制覇のチャンスだった。残念、もうひとがんばりだった。  そのマイネルミラノの直後で先行馬ペースに乗り、あとは同馬を交わすだけ。そんな位置にいたのがM.デムーロのパッションダンス(父ディープインパクト)だった・・・

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柏木集保

1948年、長野県出身、早稲田大卒。1973年に日刊競馬に入社。UHFテレビ競馬中継解説者時代から、長年に渡って独自のスタンスと多様な角度からレースを推理し、競馬を語り続ける。netkeiba.com、競馬総合チャンネルでは、土曜メインレース展望(金曜18時)、日曜メインレース展望(土曜18時)、重賞レース回顧(月曜18時)の執筆を担当。

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