関わったすべての人びとの総力が「日本ダービー」制覇/東京優駿

2016年05月30日(月) 18:00


川田将雅騎手の好騎乗がもっとも大きかった

 多くの有力候補がそろい、13万9千人を超すファンの詰めかけた第83回日本ダービーを制したのは、人気の1頭マカヒキ(父ディープインパクト)だった。

 強運の金子真人オーナー(現在の名義は金子真人ホールディングス)は、馬主として史上最多タイの3勝目(04年キングカメハメハ、05年ディープインパクト)となり、皐月賞につづいて1-3着を独占した種牡馬ディープインパクトも、日本ダービー3勝目(12年ディープブリランテ、13年キズナ)となった。生産牧場のノーザンファームは、史上単独トップの7勝目である。

 日本ダービーを1月生まれの産駒が勝ったのは史上初であり(2着サトノダイヤモンドも1月生まれ)、勝ったマカヒキは、その父ディープインパクトも、母ウィキウィキも金子真人オーナーの所有馬だった。なお、シーズン当初から話題のひとつだったが、マカヒキの牝系は祖母リアルナンバーが、サトノダイヤモンドは母マルペンサが南米アルゼンチン産馬である。欧州、北米にとどまらず世界各地から少し異系統の優れた牝系ファミリーの血を導入しつづける社台グループの生産手法の勝利でもあった。

 直前まで、「マカヒキが1番人気になる」とみられていたが、最終的に3番人気にとどまったあたり、おそらく「また後方に下げて進むだろう」戦法が心配されたためと思われるが、もっともスムーズに中位のインを確保し、ライバルの位置、動きを確認していたのは川田将雅騎手(30)だった。生産、育成のノーザンファーム、金子オーナー、友道康夫調教師、そのスタッフなど、関わったすべての人びとの総力が「日本ダービー」制覇であるのは当然だが、川田将雅騎手の好騎乗がもっとも大きかったと思えた・・・

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柏木集保

1948年、長野県出身、早稲田大卒。1973年に日刊競馬に入社。UHFテレビ競馬中継解説者時代から、長年に渡って独自のスタンスと多様な角度からレースを推理し、競馬を語り続ける。netkeiba.com、競馬総合チャンネルでは、土曜メインレース展望(金曜18時)、日曜メインレース展望(土曜18時)、重賞レース回顧(月曜18時)の執筆を担当。

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