2000年の函館SSの覇者 タイキトレジャーの余生/動画

2016年06月14日(火) 18:01

第二のストーリー

▲タイキトレジャーと、ミウラファームの三浦國靖さん奥様の恵美子さん

1口で出資していた会員さんが今でも会いに来てくれる

 5月17日に取り上げたユウミロク(牝33)が生まれた青森県三戸郡五戸町にある三浦牧場の敷地内を抜けて、坂道を上って行ってしばらく進むと木々の間に放牧地が見えた。そこには1頭の鹿毛馬が草を食んでいる。今から16年前の函館SS(GIII・2000年)に優勝したタイキトレジャー(牡20)だ。

 トレジャーを飼養しているミウラファームの三浦國靖さんによると、三浦牧場は國靖さんの父が始めた牧場で、現在は兄が牧場を経営している。本家の三浦牧場と國靖さんのミウラファームは競走馬の生産を生業にしていたが、両牧場とも黒毛和牛の生産に切り替えている。一時は17頭ほどいたという繁殖牝馬の姿は既になく、今ミウラファームにいる馬は、タイキトレジャー1頭のみとなった。

 タイキトレジャーは、1996年4月25日にアメリカで生まれた。来日したトレジャーは、クラブ法人の大樹ファームの所有馬として美浦の藤沢和雄厩舎から1999年1月にデビュー。ダート1600mの新馬戦で初陣を飾っている。3戦目まではダートでの競馬だったが、4戦目のクリスタルC(GIII・3着)からは芝でも走るようになる。主に1200mから1400mの短距離路線で活躍を続け、2000年の函館SSで重賞勝ちを収めた。

 重賞勝ちはその1つだけだったが、函館SSには4年連続で出走し、1着、2着、2着、7着と3連対して函館競馬場とは好相性を示した。GIのビッグタイトルには手は届かなかったが、2001年のマイルCS(GI)では同厩舎のゼンノエルシドの3着と、マイル戦でも健闘した。

 2003年8月のアイビスSD(GIII・12着)が最後のレースとなり、2004年2月に競走馬登録を抹消して、ミウラファームで種牡馬入りした。某乗馬クラブにいたタイキトレジャーの半兄のタイキエルドラドも、この時一緒にミウラファームにやってきて、兄弟が同じ牧場内で過ごしていた時期もあった。

第二のストーリー

▲短距離路線で活躍を続け、2000年の函館SSで重賞勝ちを収めた

「エルドラドは来た当初は体調が悪くて痩せていたのですが、復活してくると元気で元気で(笑)。トレジャーは普通にしていましたけど、エルドラドは本当に元気良かったです」(三浦國靖さん)

 やがてエルドラドは同じ青森県内の野々宮牧場へと移動し、2011年8月18日に17歳で病気のためにこの世を去っている。

「できれば自分の牧場の繁殖牝馬に自分が持っている種馬を付けて、生産をして送り出したいという思いでやっていました」という國靖さんは、これまでモガンボ、ダハール、アイシーグルーム、ラストタイクーン、ハナセール、ロバリアアモンらをこの牧場で種牡馬として繋養してきた。

「ロバリアアモンは『サーペンフロの後継種牡馬になるだろうから』とお話を頂いたんですよ。もう亡くなってしまいましたけど、ファンの多い馬でしたね」と國靖さん。

「ロバリアアモンのファンの方がわざわざここまでいらしてくれたり、誕生日には人参をあしらったお花をプレゼントしてくれたりしましたね。すごく嬉しかったですし、楽しい思い出です」と、奥様の恵美子さんも懐かしそうに言葉を継いだ。

 かつてあまたの名馬を輩出してきた青森県の馬産も、近年は勢いを失っている。地方競馬が各地で閉鎖となったことも影響して、生産した馬たちがなかなか売れず、例え買い手がついても生産側が希望する値段がつかない。種牡馬を繋養しても種付けによる収入も思うように得られないという状況になっていった。

「本当に厳しかったです」と三浦さんが話す通り、軽種馬を生産する牧場の経営は苦しくなっていった。ミウラファームがサラブレッドの生産を打ち切り、黒毛和牛生産に切り替えたのもそのためだ。

 三浦さん夫妻が、ミウラファームでただ1頭のサラブレッドとなったタイキトレジャーが過ごす放牧地に案内してくれた。木々に囲まれ緑多い放牧地に立つタイキトレジャーの馬体は、太陽の日差しを浴びてピカピカに輝いていた。今年で20歳になるが、張りがあってはち切れそうな体は年齢を感じさせない。

 こちらに気づいたトレジャーは近くに寄ってはきたが、すぐに放牧地の草を食み出して顔を上げてくれない。國靖さんが草をむしり取り、トレジャーの気を引いてくれた。顔を上げると長い前髪が風にたなびき、ワイルドな風貌だ。人嫌いなわけではなさそうだが、ベタベタと甘える様子もない。写真撮影が終わると、放牧地を散策しながら、再び自由な時間を楽しみ始めた。

「あそこがトイレと決まっているんです」と國靖さんが指を差した先には、こんもりとしたこげ茶色の塊があった。広い敷地内で、自分が決めた場所にしかボロをしないというトレジャーは、賢くて綺麗好きなのだろう。

「牡馬は牝馬を見るとカーッと興奮するなどとうるさい場合があるのですが、トレジャーにはそれは感じませんでした。種付けは上手なものでしたよ。まあウチにいた種牡馬で、種付けに苦労した馬はいませんでしたけどね」(國靖さん)

第二のストーリー

▲放牧地にある茶色い盛り上がりがタイキトレジャーのトイレ。広い放牧地の中で2か所の決まった場所でボロをするという

 種牡馬を引退して、悠々自適な毎日を満喫するタイキトレジャー。人のために一生懸命頑張ってきた馬には、彼のような穏やかな日々があっても良いと思う。

「朝7時に放牧に出て、午後3時半くらいに馬房に入ります。1日3食で、すべてペロリペロリと完食しています。この馬は大樹さんの馬でしたから、1口出資していた方から電話で連絡が来たり、実際に訪ねて下さったりするんですよ。ですからこの馬を見て頂いた時に『何だこれは』という管理ではいけないですからね。太らせ過ぎず、かといって痩せすぎないようにと気を配っています」

 こうした愛情ある管理のもと、トレジャーはいつも健康そのものだ。

 手のかからないトレジャーに、1度だけ不思議な出来事があった。

「曳いている時にロープが切れて、トレジャーが逃げて見えなくなってしまったんです。それで足跡を辿りながら探していたんですよね」(國靖さん)

 恵美子さんも「それで三浦牧場の敷地を真っ直ぐ走っていけば大きな道路に出るんですけど、なぜか足跡は途中で曲がって上の方に上がっていっているんですよ。それをお父さんと一緒に辿っていくと馬場にいたんです」と、当時を思い出して感心した様子だ。

 トレジャーがいた場所は、本家の三浦牧場にある800mの馬場だった。

「馬場にちょこんと立っていたんです。その馬場にトレジャーは1度も行ったことがないんですよ。以前、自分が走ったことのあるようなトレーニングコースがあるということを、本能で感じ取ったんでしょうかね」と國靖さんは首を傾げた。

「途中に採草地も何か所かあるんですけどね。普通なら草が生えている方に入っていくと思うんですけど、まっしぐらに馬場まで行きましたから。三浦牧場の人間も、逃げて走っていくトレジャーに全く気がつかなかったみたいですね。ちょこんと立っていましたから、すんなりと捕まって曳いて帰ってきました」(國靖さん)

 トレジャーが逃げ出したのは、後にも先にもこの時だけ。三浦さんも「あれだけが本当に不思議でした」と何度も繰り返した。競走馬時代の記憶が、その時突然蘇ってきたのかもしれない。

「馬がいるとね、落ち着くんですよ」

 國靖さんがふと洩らした。

「本当に馬のいる風景って、違いますよね」

 恵美子さんもつぶやいた。

「小さい時から馬とともに育ってきましたし、トレジャーがいる放牧地に行くと本当に落ち着きます。牛は知らんぷりしていますけど(笑)、トレジャーはブーッとか言いながら、こちらに来てくれます。馬とは心を通わせられますからね」

 肉牛の生産に勤しむ三浦さんにとって、トレジャーのいる放牧地は癒しスポットになっているようだ。

第二のストーリー

「最後までウチで面倒みようと思っています。この馬には長生きしてほしいですね」國靖さんの口調はしみじみとしていた。

 そしてトレジャーという馬名の通り、三浦さん夫妻にとってタイキトレジャーは、宝物のような存在なのだと感じた。


※タイキトレジャーは見学可です。

〒039-1526
青森県三戸郡五戸町上長下64-64
ミウラファーム

見学期間 5月〜11月末
見学時間 9時〜15時
3日前までに連絡をしてください。(不在が多いため直接訪問は不可)

問い合わせは最寄りの「競走馬のふるさと案内所」まで。

http://uma-furusato.com/annai/network

引退名馬のタイキトレジャーの頁

https://www.meiba.jp/horses/view/1996110267

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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