2016年10月26日(水) 18:00
原田ジョッキーのインタビューも今回で最終回。障害レースに救われた彼ですが、障害レースで地獄を見たそうです。さらに減量復活前にもいろいろとあって…。減量効果の有無など、さまざまなことを語っていただきます!
(取材・文/大薮喬介)
原田 ええ。まだ必要とされているんだという実感もあって、当時の自分を受け入れることができるようになりました。今思うと、あの時の自分は人間ができていなかったんだと思いますね。それこそ、障害で2勝目を挙げた時ですよ、「せっかくジョッキーになったんだから、自分にできるところまでやってみよう」と思えたのは。悪くいえば、あきらめですけど、1番人気になるような馬に乗りたいとか、望んでも叶わないことを考えても一歩も前には進めませんから。今騎乗させていただいている馬を、ひとつでも上の着順に持ってこられるようにしようと思えるようになりました。
――3年目は障害で4勝、平地で8勝して、自身初の2ケタ超えでしたね。
原田 おかげさまで3年目は勝たせていただきました。ただ、4年目は減量がなくなりましたから(苦笑)。
――ああ、当時は4年目からは自動的に減量がなくなるんですよね。
原田 はい。ただ、4年目の最初は、減量が切れても1日6鞍騎乗させていただいたりして、結構乗っていたんですよ。3年目にいろいろな厩舎を手伝わせていただいていたこともあって、騎乗数は減らなかったんです。減量が切れることは知っていたので、ある程度は覚悟していたんですが、これなら大丈夫かなと思っていたんです。
――順調だったわけですね。
原田 そうなんです。でも、中山グランドジャンプで落馬してケガをしてしまって…。
――カントリースノーに騎乗されていた時ですよね。
原田 ええ。3年目の終わり頃に勝ち出して、これからという時だったんです。自分の中でもケガだけはしてはいけないと思っていた矢先でしたから・・・
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