2018年03月06日(火) 17:59
◆目立った後継種牡馬は不在、ヒガシウィルウィンの今後に期待
ひと昔からふた昔ほど前、外国産馬の出走がかなり制限されていた時代、短距離血統の外国産馬といえば多くが早熟だった。そんな時代にあって、サウスヴィグラスはめずらしい晩成タイプ。2001年の5歳時はダートのオープン勝ちこそあったものの重賞では2着3着と勝ちきれなかった。6歳1月の根岸Sで重賞初制覇を果たすと、フェブラリーSは6着だったものの、その後は地方・中央のダート短距離重賞で6連勝の快進撃。7歳時の東京盃で2着に敗れて連勝は途切れたが、JBCスプリント(大井1190m)を制してGI初勝利となった。ちなみに6歳秋にもJBCスプリントに出走するプランがあったが、脚部不安のため出走は叶わず、約半年の休養を挟んでいる。それでも7歳になって一層の充実ぶりを見せ、結果的にGI初制覇となったJBCスプリントが引退レースとなった。
種付初年の2004年から150頭もの交配相手を集め、3年目、4年目こそ90頭台にとどまったが、2010年の212頭をピークに、21歳の昨年まで衰え知らずで常に3桁の種付をこなしていた。2007年には地方の2歳新種牡馬ランキングでトップに立ち、その後地方の種牡馬ランキングでは、2010年に3位、2011年に2位、そして2012年にはついにトップに立った。さらに2015年から昨年までは3年連続でトップに立ち、2010、11、14年に1位になったゴールドアリュールと、地方・種牡馬ランキングのトップを争っている。
また中央も含めた総合のダート種牡馬ランキングでは、2012年に初めて5位にランクインすると、2013〜16年は4年連続で3位。この間、1、2位を争っていたのはゴールドアリュールとキングカメハメハで、2017年にはキングカメハメハを上回り、総合のダートで初めて2位に食い込んでいる。
サウスヴィグラスで画期的だったのは、現役時の活躍が日本のダートのみということ。活躍した舞台がほとんど日本のダートのみだった馬がチャンピオン級の種牡馬になったということでは、ゴールドアリュールとともに双璧といえる。しかもサウスヴィグラスの場合、その活躍のほとんどが地方でのもので、GIタイトルは地方のJBCスプリントだけだった。
産駒のGI(JpnIも含む、以下同)勝利は、2009年に全日本2歳優駿を制したラブミーチャンが最初で、その後コーリンベリーが2015年のJBCスプリントを、さらに昨年にはヒガシウィルウィンがジャパンダートダービーを制している。
残念なのは、GIを制した産駒が続々と種牡馬として活躍をはじめているゴールドアリュールとは対照的に、サウスヴィグラスにはここまでのところ目立った後継種牡馬がいないこと。なお、2世代目の産駒として2011年に武蔵野Sを制し、現役生活の晩年には岩手で重賞を勝ちまくったナムラタイタンが、昨年から父と同じアロースタッドで種牡馬となっている。
そういう意味では、2000mのGIを制して中距離での能力の高さを示したヒガシウィルウィンの今後の活躍には大いに期待したい。
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斎藤修
1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。
プロフィール
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