幼馴染とともに見ていた夢の舞台に立って――兵庫のイケメンジョッキー・鴨宮祥行

2019年01月15日(火) 18:01

馬ニアックな世界

▲兵庫のホープ・鴨宮祥行騎手が、ジョッキーを目指したきっかけは…

2019年最初の「ちょっと馬ニアックな世界」です。昨年からスタートしたコラムもおかげさまでもうすぐ2年目を迎えられそうです。お読みいただいている皆さま、取材にご協力いただいている皆さまにこの場をお借りして改めて感謝申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

「いつか息子が騎手になって、祥行と一緒のレースに…」

 今回の「ちょっと馬ニアックな世界」は昨年、重賞初制覇とキャリアハイを達成したとあるイケメンジョッキーのお話。

 園田・姫路競馬の鴨宮祥行 (かもみや・よしき) 騎手がジョッキーを目指したきっかけは、友達からの「一緒に騎手になろう!」という誘いでした。小学生の頃は京都競馬場に遊びに行き、とある事件が後押しして誓ったジョッキーへの夢。

 友達は残念ながら騎手にはなれませんでしたが、「いつか息子が騎手になって、(鴨宮)祥行と一緒のレースに乗ってほしいな」と、2歳の息子と共に鴨宮騎手の応援をしています。中学生から大人になるまでの間、彼らに何があったのでしょうか。

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▲鴨宮騎手の幼馴染は2歳の息子と共に、園田競馬場でエールを送る

 鴨宮騎手と幼馴染の友人S君は同じ小学校。放課後は校庭を走り回り、一緒にゲームをし、同じ野球チームに入る少年時代を送りました。2人はいつも一緒。S君はこう振り返ります。

「一緒に京都競馬場にも行ったんですが、着いてすぐの未勝利戦を勝ったのがブエナビスタだったんです。『うわ〜、すっげー馬がいる』って感動しました」

 父親の影響で競馬を見ていたS君は、小学校高学年から動画でサイレンススズカなど過去の名馬のレースを見て、どんどん詳しくなっていました。

「動画で見た馬の話とかを祥行としていたんです」

 そして中学2年生の時、S君は鴨宮騎手にこう言いました。

「一緒にジョッキーになろう!」

 その思いをこう振り返ります。

「馬が好きで、憧れていたんです。小学生の頃、我が家の恒例は京都競馬場に行って乗馬体験をすること。馬に乗って写真を撮ってもらうのですが、その写真を集めてじーっと眺めていました。でも、僕が中学生の頃には競馬好きだった父は離婚して家にいなくて、母からは騎手になることを反対され、泣きました。『祥行もなるって言ってるで』って伝えたんですけど、『よその子はよその子』みたいな感じで(苦笑)」

 一方、誘いを受けた鴨宮騎手は当時、苦境に立たされていました。

「勉強があんまりできなくて、三者面談で学校の先生に『そんなんやったら高校に行かれへんで』って言われたんです。その場しのぎで『いいねん、俺はジョッキーになるから』って言ったら、先生と親が本気になって、引くに引けなくなりました」

 鴨宮騎手のひょんな事件もあり、幼馴染の2人の人生はここで分岐点を迎えました。

 鴨宮騎手は中学卒業後、国際馬事学校へ1年間通ったのち地方競馬教養センターに入所。2012年4月、「家族が見に来られる所がいい」と、地元から近い園田競馬場でデビューを果たします。

 デビュー戦を1番人気で迎え2着。デビューから3日目、7戦目で初勝利を挙げました。

 当時、園田・姫路競馬は通算20勝を挙げると減量が取れて、先輩騎手と同じ斤量で騎乗する規定でした(2018年デビュー組からはJRAと同じく100勝ルールに改定)。

 騎手激戦区と言われ、20勝を挙げて自力で減量を取るのは難しいことでしたが、鴨宮騎手は1年目で早々に減量を取り、周囲からは「乗れる新人」と期待を寄せられました。しかし、翌年は勝ち星を下げてしまいます。

「減量が取れてからがしんどくて苦しかったです。うまくいきすぎているし、勝たれへんようになるやろうなって思ってはいたんですが、意外と早くきちゃいました。右も左も分からない状態で先輩たちと同じ舞台に立っちゃって、馬も動かなくなりました」

 少しずつ、着実に自分と向かい合い、技術向上に努めていきました。174cmの長身も自分なりに生かそうと考えました。

「手足が長い分、他の人よりはちょっとのバランス移動で馬を御しやすいのでは、と思います。少しの動きでいいはずなんですよ、たぶん。こういうことを研究していくのは楽しいです。馬の上ではまとまって見えるように心がけています。馬から降りたら、『あ、この子こんなに大きかったんや』って言われるくらいになりたいですね」

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▲「馬から降りたら『こんなに大きかったんや』って言われるくらいになりたいですね」

 2017年は53勝を挙げ地元トップ10入りすると、昨年6月、自身2度目の門別遠征でチャンスは回ってきました。

「急遽の騎乗変更で54kgのモズオトコマエに乗れる騎手を(管理する)田中正二調教師が探していたんです。ちょうどパドックから馬場に出ていくところで、僕の前を歩いていた騎手に『乗れるか?』って聞いたんです。でも、残念ながらその方は乗れなくて、すぐ後ろを歩いていた僕が『乗れます!』って手を挙げました。レースの時間も迫っていましたし、『じゃあお願い』と言っていただき、乗れることになりました。しかもクビ差で勝てて、本当によかったです」

 この後、金沢の重賞・イヌワシ賞でふたたび鴨宮騎手はモズオトコマエとコンビを組み、見事勝利。デビュー7年目にして重賞初制覇の瞬間でもありました。

「嬉しいですね。いい状態で乗せていただいた関係者のみなさんのおかげです。次は地元・園田で重賞を勝ちたいです!」

 重賞初制覇の喜びを語った1週間半後、園田チャレンジカップをセンペンバンカで勝利し、早々に地元重賞制覇も果たしました。

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▲▼昨年の園田チャレンジCをセンペンバンカで勝利、地元重賞初制覇を果たした

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 普段から親交のある騎手たちは我がことのように喜び、肩を組んでじゃれ合い、抱きつき、祝福しました。

「祥行は昔からクラスの人気者やったんですよね」と、幼馴染の友人S君は言います。

別々の道を歩む2人、競馬を通してそれぞれの夢を描く

 2018年はキャリアハイの71勝を挙げた鴨宮騎手。

 S君は大晦日に2歳の息子と一緒に園田競馬場に応援に訪れていました。

「園田に行けるのは1年に1回くらいなんですが、見る度にすごい感動します。僕、もうすぐ転職するんですが、こうしてジョッキーとして活躍する祥行の存在は励みにもなりますね。息子も『ヨシキ(祥行)、がんばれー!』ってパドックで応援していました。『ピンクの帽子やで?』って言ったら、理解したみたいで、『あっち行った』『こっち来た』って指を差しながら追っていました。

 息子にはジョッキーになってほしくて、近くでわざと競馬ゲームをやったり英才教育をしているんです(笑)。今は野球の方に興味があるみたいですが、息子が18歳になった時、祥行は40歳。一緒にレースに乗ってほしいですね」

 一方で鴨宮騎手は今年の目標をこう語ります。

「去年、モズオトコマエやセンペンバンカで重賞を勝たせていただいた頃、エイシンエールという馬も重賞制覇のチャンスがあったんです。でも、僕の気持ちが強すぎて失敗してしまって……。デビュー前から乗っている馬でもあるし、エールと一緒にどこか大きいところを勝ちたいですね」

 中学生の頃、ともに夢見たジョッキーという職業。

 あれから10年。別々の道を歩む2人ですが、競馬を通してそれぞれの夢を描いています。

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▲今は別々の道を歩む2人、競馬を通してそれぞれの夢を描いている

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大恵陽子

競馬リポーター。競馬番組のほか、UMAJOセミナー講師やイベントMCも務める。『優駿』『週刊競馬ブック』『Club JRA-Net CAFEブログ』などを執筆。小学5年生からJRAと地方競馬の二刀流。神戸市出身、ホームグラウンドは阪神・園田・栗東。特技は寝ることと馬名しりとり。

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