オオエライジンの経験を糧に――今週末、JRA挑戦へ!

2019年04月09日(火) 18:00

馬ニアックな世界

▲調教師補佐時代にオオエライジンを担当した橋本師

今週末13日(土)、1頭の地方競馬生え抜きの3歳馬が期待を背負ってJRA阪神競馬場に遠征します。名前はテツ。前走、初めてのJRA遠征となった3月16日阪神3歳500万下、芝1200mでは直線で脚を伸ばして勝ち馬から0.4秒差の5着でした。橋本忠明調教師は「予想以上にがんばってくれました」と顔をほころばせました。そして「今、こうしてテツをJRAに送り出せるのも、オオエライジンの経験があったから」と語ります。

 園田・姫路競馬生え抜きで、兵庫ゴールドトロフィー(JpnIII)では2度の3着があったオオエライジン。2012年佐賀記念ではJRA馬に混じって1番人気に支持されるなどした同馬を調教師補佐時代に担当したのが橋本師でした。オオエライジンから繋がるJRA勝利への夢とは。

坂路のない中でどう調教するか

 テツがデビューしたのは昨年7月。820m戦で好スタートから先手を奪うと、後続を寄せ付けず6馬身差で勝利を収めました。

「デビュー前のゲート試験や能力検査からある程度は走ってくれるだろうなと思っていましたが、デビュー戦を見て改めて『センスがいいな』と感じました」

 と、管理する橋本師は振り返ります。

 2戦目のJRA認定アッパートライは2着、重賞・兵庫若駒賞3着ときて4戦目でJRA認定アッパートライを勝利し、JRAに遠征できる権利を手に入れました。

「デビュー前、北海道で馴致をちょっとやってから2歳の1月半ばくらいに淡路島にあるヒイラギステーブルで坂路を上がっていました。2戦目のJRA認定アッパートライを負けた後にもう1回ヒイラギステーブルに出して、成長を促しながら鍛えてもらったんです」

 園田・姫路競馬の調教施設はトラックコースのみで、坂路はありません。橋本師が厩舎を構える西脇トレセンは厩舎から馬場に向かう道が坂道になっていて、それを活用する厩舎もありますが、調教コースではないので常歩で歩くのみ。限られた調教施設の中で、こうして近郊の育成牧場で坂路を使用できたことは大きな意味を持ったでしょう。

 さらに橋本師はこう続けます。

「“あの時”に初めて人間も坂路調教を経験させてもらったから、テツでもこうして活用することができたと思うんです」

 ここで少し時を遡りましょう。

休業届を出して、オオエライジンと一緒に育成牧場へ

 “あの時”とは2012年、オオエライジンが4歳の春だった時のこと。園田でデビューし、兵庫ダービーや大井・黒潮盃などを含む無敗の10連勝を遂げた栗毛の牡馬は、地方競馬生え抜きの星として期待を集めていました。4歳2月には佐賀記念に遠征し、1番人気に支持されましたが、残念ながら5着。

 その直後、陣営はさらなるパワーアップを図るため滋賀県のグリーンウッド・トレーニングへ放牧に出すことを決めました。当時、調教師補佐だった橋本師はデビュー以来オオエライジンを担当し、「家族よりも大切な存在」と寄り添ってきました。そしてこの時、園田競馬へ休業届を出し、自身もオオエライジンと共にグリーンウッド・トレーニングへ行く異例の対応を取ったのでした。もちろんこれには所属厩舎やグリーンウッド・トレーニングの理解や協力があってのこと。それだけに得られるものも大きかったと言います。

「オオエライジンに跨って坂路調教を経験できたことで、坂路を使う意味を理解できました。オオエライジンはあの時、トモに筋肉がついてひと回り大きくなりましたし、体重も増えました」

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▲「坂路調教を経験できたことで、坂路を使う意味を理解できた」と橋本師

 すでに当時、地方馬として上位で活躍していた同馬ですが、さらなる成長を遂げることができたのでした。後にも先にも橋本師が牧場まで行って付きっ切りで調教をつけたのはオオエライジンだけ。普段はもちろん、放牧先では牧場のスタッフに委ねています。

「テツは成長期なので、やり過ぎると成長が止まってしまう恐れもあるので、ヒイラギステーブルでは2〜3日に1回くらいのペースでスタッフの方が騎乗して坂路調教をしてくれていました」

 そうして徐々に力をつけたテツは今年2月、重賞・園田ユースカップで4コーナーで進路がなくなりながらも3着。そして3月16日、阪神競馬場へ遠征をしたのでした。レースは3歳500万下、芝1200m。

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▲阪神競馬場に遠征した田中学騎手とテツ

「走りが軽いので芝向きっぽいなと思ったのですが、遠征前に『手応えのほどは?』と取材を受けても『分からないです』としか答えられなかったんです。っていうのも、私自身が調教師になって初めてのJRA遠征。どんな馬だったらJRAの芝でやれるかが分からなかったんですよね」

 しかし、ゲートが開くと好スタートを決め、スッと4〜5番手につけました。4コーナーでは一瞬、手応えが怪しく映る場面もありましたが、直線に入って外に持ち出されると脚を伸ばして5着。

「興奮しました!ビックリしたというのが正直なところです。これまで地方馬がJRAに遠征するのを何回も見てきましたが、みんな阪神では坂の入り口でついていけなくなるのを目の当たりにしてきました。次に繋がるレースをしてくれれば、と思っていたので、坂を上がってきた時には『あれ、来るんや!』って。こちらが思っている以上に馬が成長してくれているんでしょうね」

 かつて2000年に若駒Sを兵庫のダイトクヒテンが勝利したことがありましたが、舞台は直線が平坦の京都コース。2010年には2歳500万下、芝1400m戦で12番人気のシークレットベース(兵庫)が2着に入り、1着も10番人気だったことから3連単が1180万円超えということもありましたが、これも京都コースでの話。地方馬にとって坂のある阪神コースで結果を残すことは非常に難しいことだったのです。

 テツに騎乗した田中学騎手もやや興奮気味にこう話しました。

「あの日は内が少し重たそうだったので、どこかで外に出したいな、と思って直線は少しずつ外へ誘導しました。追い出してまだフワフワするところがあったり、坂では走るリズムをちょっと崩していましたが、よく頑張ってくれましたね!」

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▲レース直後の田中学騎手と橋本師

 レース後もテツの回復は想像以上に早かったため、天皇賞・春当日の京都にも同条件のレースがありましたが、「間隔が空き過ぎるため」今週末の阪神に遠征することとなりました。

「思った通りに調教できています。オオエライジンの時は地元でダービーを勝って、南関東に行っても勝って、じゃあやっぱり次はJRA遠征!と思いましたが、タイミングなどが合わず行けないまま終わってしまいました。先月、テツでJRAで着を拾うっていう小さい夢を見ることができたので、今度は大きい夢が見られたらいいですね」

 地方馬が他地区やJRAに遠征した時には、不思議と地元関係者の間にチーム感が漂うことが多々見られます。5着だった阪神遠征時も園田・姫路競馬の騎手、調教師、トラックマンなどが応援に駆け付け、一丸になって応援しました。

「今回もみんな応援に行くって言ってくれています。騎乗予定の(田中)学くんも楽しみにしていますし、みんなの応援があるから期待に応えられるように1つでも上の着順を目指したいですね」

 オオエライジンが転厩により橋本師の手元を離れてから6年ちょっと。あの時経験した悔しさも喜びもすべてが今、こうして生かされています。

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大恵陽子

競馬リポーター。競馬番組のほか、UMAJOセミナー講師やイベントMCも務める。『優駿』『週刊競馬ブック』『Club JRA-Net CAFEブログ』などを執筆。小学5年生からJRAと地方競馬の二刀流。神戸市出身、ホームグラウンドは阪神・園田・栗東。特技は寝ることと馬名しりとり。

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