平成の女傑、ヒシアマゾン死す

2019年04月20日(土) 12:00

扱いづらい程の気の強さがレースでは長所に

 混沌ムードのオークス戦線に新星が生まれるかが話題の中、かつての女傑ヒシアマゾンの死が伝えられた。

 先日のウオッカに続く訃報だが、平成の時代の終りを実感する。

 ヒシアマゾンは米国生まれの外国産馬で、デビューしたのが平成5年、当時は○外馬にはクラシックは開放されておらず、出走できるレースは限られていた。

 そうした中で、阪神3歳牝馬ステークス(現阪神ジュベナイルF)とエリザベス女王杯を勝ち、有馬記念でナリタブライアンの2着、ジャパンカップがドイツのランドの2着したほか、重賞6連勝を含む全10勝を上げ、3年連続JRA賞に輝いていた。

 その勝利の手綱を取ったのが中舘英二騎手だったが、ヒシアマゾンが新馬戦を勝利したその日は、彼の名を世間に知らしめたツインターボでオールカマーを勝っていた。

 この日、平成5年9月19日の中山競馬場は、中舘騎手にとっては記念すべき一日に、彼の運命を決定づけた記念日と言える。

 その新馬戦について後年、「勝てるから乗ってみないかと中野先生に声をかけられたのがこのヒシアマゾンだったのです」と語っていた。

 さらにレースの印象については、「追うことはなく、つかまっているだけでいいよと言うわりには、やっと勝てたという感じで、普通の馬だなと思いました」と述べていた。

 また、中野隆良調教師も、「最初こちらに来た頃は、こんなに走ってくれるとは思えなかった」と語っていたし、馬主の阿部雅一郎さんも生前、「アメリカのセリで買ってあちらの牧場にしばらく置いていたんですが、これは素晴しいという報告は一度もありませんでしたね」と振り返っていた。

 そのヒシアマゾンがどうして牡馬に伍してGIの舞台で名を残すまでになったかだが、それはその内面にあった。

 担当したきゅう務員さんに取材したことがあったが、その折、「急にあばれたりして扱いにくいところがあります。気が強いのでそれがレースで力を発揮する力になっているんだと思います」と言っていたことが思い出される。

 レースに行けば前向きになり、勝ちたいという意欲がみなぎる。勝つことでどんどん成長する。

 そうした好循環は、少しずつ戦う距離を延ばしていったところから生まれたように思えてならない。

 事実、勝ち方も多彩になっていた。こういう馬を見つけていきたい。

 欠点が長所となることもある。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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