【松山弘平×藤岡佑介】第1回『若手浮上のヒントに “騎手・松山弘平”の歩み方』

2019年06月19日(水) 18:02

with 佑

▲『キシュトーーク!』以来6年ぶりの対談 (C)netkeiba.com

2009年のデビューから、丸10年を迎えた松山弘平騎手。松山騎手と言えばデビューの年に36勝を挙げ、新人賞を獲得。2017年にはアルアインで皐月賞を勝利し、27歳でGIジョッキーとなるなど、順風満帆な騎手人生を歩んでいます。

が、「弘平ちゃん、このままダメになってしまうかもしれない」と、佑介騎手が心配した時期もあったと言います。上を目指す若手にとってのヒントに! 松山騎手の軌跡を辿ります。

(取材・文=不破由妃子)

先輩でも見習いたい、松山騎手のレース後の対応

──佑介さんと松山さんの対談は、2013年4月の『キシュトーーク!』以来6年ぶりになりますね。

→記事はこちら『松山騎手ご指名対談〜藤岡佑介騎手編』

松山 佑介さん、僕と対談したこと覚えてなかったんですよね(笑)。

佑介 …はい(苦笑)。でも、記事を見たら思い出したわ。たしか俺がもうすぐフランスに行くというタイミングで。

松山 そうです。若手が先輩を指名して、いろいろ相談に乗ってもらう…という企画でした。それにしても、佑介さんがフランスに行ってから、もう6年近く経つんですね。

佑介 うん、丸5年。対談をしたのは、俺は俺で心機一転、環境を変えて頑張ろうという時期で、弘平は前の年にローカルでたくさん勝って、本場(中央)にシフトするタイミングを計っていた時期だったよな。

──それぞれにとって転換期といえる大事な時期だったんですね。そのときの対談で、佑介さんが「“弘平ちゃん、このままダメになってしまうかもしれない”と思った時期があった」とおっしゃっていて。

 先輩にそう思わせた時期を経て、今では全国リーディングトップ10の常連といえるまでになった。すごいことだと思いますし、上を目指す若手にとって、松山さんの軌跡のなかにはヒントがたくさんあるのではないかと。

佑介 うん、俺もそう思う。ひとつのお手本になるよね。

──新人賞を獲りながら、2、3年目は落馬が続いたこともあって、騎乗馬がほとんどいなくなってしまった時期が一瞬だけありましたよね。

松山 そうですね。たしか1週くらいですけど、開催日なのに休みになってしまった日もあったので…。

佑介 ホンマに!? それは知らなかった。

松山 周りの人も、あまりその頃のイメージはないみたいなので、それは逆にいいことかなと思ってます。

佑介 そうだね。俺が心配だったのは、もともと弘平はあまり目立つタイプじゃなかったし、性格的にもいい子だけど、ジョッキー向きの性格かと言われると、なんか大丈夫かなぁというのがあって。

 いい厩舎(池添兼雄厩舎)に所属していたから、減量があるうちは乗せてもらえていたけど、減量が取れたあとはどうなっていくのかなって思ってた。

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▲佑介騎手「もともと弘平はあまり目立つタイプじゃなかったし…」 (C)netkeiba.com

松山 実際、1年目、2年目、3年目と成績は下がり続けていたし、佑介さんには当時からいろいろ話を聞いてもらっていましたものね。

佑介 性格的に大きく変わったわけではないけど、弘平の場合、仕事に対するスタンスとかアピールの仕方とか、そういうことが結果に結びついてきたところはあると思うから、若い子は本当にお手本にしたほうがいいと思ってる。

 関係者に対する受け答えとか、レースのあとに話している内容とかを聞いていると、やっぱり偉いなと思うし、俺もちょっと見習わないといけないなと思うところがけっこうあるよ。

松山 ホンマですか!? とくに意識して何かを気を付けているわけではないんですけど…。

佑介 弘平の場合、1日11頭、12頭乗ることも珍しくないでしょ? そのなかには当然走る馬もいれば、まったく成績が出ていない馬もいる。でも、温度差なくちゃんと1頭ずつ真摯に向き合って、関係者に対しても絶対に嫌な顔をしない。

 普通、1日12頭も乗っていれば、どこかで疲れた顔を見せてしまうものだと思うけど、弘平は絶対にそういうところを見せない。

松山 いや、出てしまっているときもあると思うんですけど…。僕もレース直後はどうしても熱くなってしまうときがあるので、気持ちを全部押し殺すことは絶対にできません。

 ただ、佑介さんにそう思っていただけているのであれば、それはうれしいというか、よかったなと思いますけどね。無理に作っているわけではないんですけど。

佑介 たとえば、「すみませんでした」という一言を取っても、弘平ちゃんの「すみませんでした」は、すごく心がこもっている。

メディアに出たい気持ちと、怖い気持ち

──松山さんには『キシュトーーク!』で定期的にお話を伺ってきましたが、ほんの一時とはいえ、乗り馬がいなくなるというつらい経験をしたことで、たくさん勝つようになってからも「いつ乗り馬がいなくなってもおかしくない」という危機感を常に持っていらっしゃいましたよね。それが1頭1頭への真摯な対応につながって、今に至る下地となったのでは?

松山 ん〜、どうなんでしょう。たしかにずっと危機感を持ってやってきたというのはあります。4年目にたくさん勝たせていただいたんですけど(74勝)、そのときもそれ以降も、ずっと危機感がありました。「もう大丈夫だ」と思ったことは一度もないですね。

佑介 一度、ギリギリまで追いつめられたことが逆によかったのかもしれないね。

松山 自分に自信がなかったので、なおさらだと思います。

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▲松山騎手「もう大丈夫だと思ったことは一度もないです」 (C)netkeiba.com

佑介 根底に危機感があったからなのかもしれないけど、今思うと、弘平は絶対に隙を見せなかった。たとえばジョッキー同士で冗談を言い合っているときでも、軽口は叩かないタイプ。どんなに煽っても、弘平だけは絶対につられない(笑)。

松山 それこそ3年目くらいまでは、なんでも話していたんですけどね。途中から発言にはすごく慎重になりました。取材に対しても、苦手意識が出てきてしまって…。

 昔はむしろ、「出たい! 出たい!」というほうだったのに。キャリアを重ねるにつれ、メディアに出るとどうしても叩かれるというイメージが強くなって。

佑介 まぁそうやな。発言しなければ叩かれることもない。気持ちはすごくわかるよ。でも、俺は気にしてもしょうがないなと今は思ってる。

松山 だから、こうして連載を続けている佑介さんを見ると、本当にすごいなと思うんです。僕もずっと読ませていただいていますからね。

 そういえば今日、藤懸(貴志騎手)に「with佑、出るねん」ていう話をしたら、「いいなぁ。with佑に出るっていうことは、人気の証ですよ!」って言われました(笑)。

(文中敬称略、次回へつづく)

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「with 佑」とは

JRAジョッキーの藤岡佑介がホスト役となり、騎手仲間や調教師、厩舎スタッフなど、ホースマンの本音に斬り込む対談企画。関係者からの人望も厚い藤岡佑介が、毎月ゲストの素顔や新たな一面をグイグイ引き出し、“ここでしか読めない”深い競馬トークを繰り広げます。

藤岡佑介

1986年3月17日、滋賀県生まれ。父・健一はJRAの調教師、弟・康太もJRAジョッキーという競馬一家。2004年にデビュー。同期は川田将雅、吉田隼人、津村明秀ら。同年に35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を獲得。2005年、アズマサンダースで京都牝馬Sを勝利し重賞初制覇。2013年の長期フランス遠征で、海外初勝利をマーク。2018年には、ケイアイノーテックでNHKマイルCに勝利。GI初制覇を飾った。

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