調教師転身を決めた永島太郎騎手の親子三世代にわたる物語

2019年07月30日(火) 18:00

馬ニアックな世界

▲昨年通算2000勝を達成し、今年8月からは調教師に転身する永島太郎騎手

父、僕、娘――それぞれの立場での思いを胸に「騎手」という職業に向き合ってきた男性がいます。園田・姫路競馬の永島太郎騎手(45歳)。1990年代後半には小牧太騎手、岩田康誠騎手(ともに現在はJRA)に次ぐ“第3の男”と言われ、リーディング上位を賑わせました。

昨年には自身を騎手の道に導いた父と約束した通算2000勝も達成。嬉しい報告となるはずが、父はその直前に他界しました。一方で、次女・まなみさんは父である永島騎手の背中を見て騎手を志しています。そして永島騎手自身は8月1日付で調教師に転身。一つの区切りを前に、親子三世代にわたる物語を見ていきましょう。

破天荒な理由で地方騎手に

 京都府出身の永島太郎騎手(兵庫)は幼い頃、父に連れられてJRA京都競馬場に行っていました。

「いま思えば返し馬なのですが、目の前を馬が走っていくのを間近で見て、カッコイイなって思いました」

 身長も低かったことから、騎手を目指します。しかし、JRA競馬学校の試験に向かう道中で将来を左右する出来事が起きました。

「一緒に来ていた父が『これから3年間は食べられなくなるだろうから、食べなさい』って言って、僕はバカ食いしてしまったんです」

 親からすれば、成長期の我が子が好きな時に好きな物を食べられなくなることが不憫だったのでしょう。その言葉に永島騎手も応え食べたものの、試験では体重オーバー。

「その場で帰されました。僕も一番大切な体重に対する考えが甘かったです。父のせいではないです。こんな破天荒な理由で不合格になる人なんて、いないですよね(苦笑)」

 今となっては笑い話ですが、「父は自分のことを責めたと思う」と話します。

 その後、地方競馬教養センターを受験し、合格。地元から近い園田・姫路競馬で1991年にデビューすると、「学校時代は同期の中でも下手だった」と言うものの、いきなり初騎乗初勝利を遂げたのです。

「印象が大切ですから、このことはとても大きかったと思います。初騎乗初勝利があったから、これだけ続けられたのだと思っています」

 インパクトを残した新人騎手は、少しずつ乗り鞍を増やしていき、デビュー6年目からは騎手激戦区と言われる園田・姫路競馬で年間100勝超えを3年連続で達成。いつしか小牧騎手、岩田騎手に次ぐ“第3の男”と言われるようになりました。

 しかし、乗りに乗っていた頃、不運が襲います。

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▲小牧騎手、岩田騎手に次ぐ“第3の男”と言われるようになった永島騎手に不運が襲います

 1999年、年明けのレース直前の返し馬で他馬に挟まれて足の指を5本骨折。休養を余儀なくされました。前年、138勝まで伸ばした勝ち星はこの年、67勝にとどまり、リーディングも9位に落ちました。

「リーディング3位が続いていた時で、師匠の緒方先生が『トップを狙え』とバックアップをしてくれている中での怪我でした。怪我って、悔しさや怒りのぶつけどころがないんですよね」

 ただただ、耐えるしかなかったことでしょう。2000年にはふたたび年間100勝超えがあったものの、緒方調教師勇退に伴う厩舎解散やリーディング厩舎への移籍など取り巻く環境が変わり、勝ち星は全盛期ほどではなくなりました。

「僕の騎手人生はジェットコースターなんですよね」

 笑ってそう例えました。

「何かしらいいことがあっても怪我をして離脱。離脱すると評価も下がりますし、パフォーマンスも今まで通りでは認めてもらえないので頑張らないといけないし、時間がかかります。ある程度のところまで乗せてもらえるようになったら、また怪我をしての繰り返しでした」

 一方で重賞勝利は2000年以降増えていき、モエレトレジャーで2008年摂津盃と姫山菊花賞、ホクセツサンデーで2011年園田金盃と2013年摂津盃などタイトルを獲得していきました。

岩田望来騎手を親心で見守った理由

 永島騎手は昨夏、9年ぶりに門別競馬場で期間限定騎乗を行いました。その理由の1つは父でした。

「闘病中の父が亡くなりまして。それまでは関西を離れられないと思っていたのですが、また門別で乗ってみたいと思っていたので、この機会に行くことにしました」

 デビュー時から「やる以上は2000勝までがんばれ!」と話していた父が亡くなった直後、門別競馬場で約束の2000勝を達成したのでした。

「せめて、父が生きている時に達成したかったんですけどね。1000勝までが早かったので、その時に『2000勝は達成しないとな』って話をしていたんですけど、それからいろいろあって伸び悩んだり、怪我が続いたこともありましたから」

 9月に期間限定騎乗を終了。仏前に嬉しい報告ができると関西に帰ってきたものの、調教中の落馬で肩甲骨などを骨折する怪我に見舞われました。

「2000勝していい流れの時に怪我をして、ちょっと気持ちが折れたような感じになりました。ジョッキーは大好きですし、素晴らしい仕事ですが、今の僕にとってジョッキーには踏ん切りがつきました」

 気持ちは調教師転身へと揺らぎ、今年6月、本馬場へ向かう馬道で騎乗する際に馬が暴れ、靭帯損傷。再び戦線離脱中に調教師試験を迎え、合格したのでした。

「こないだ子供から電話があって、調教師に受かったことを直接伝えました」

 電話の先の「子供」とは次女のまなみさん。現在、JRA競馬学校2年生で、父の姿を見て騎手を目指しています。

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▲父の姿を見て騎手を目指している次女のまなみさんには調教師転身を直接電話で報告

「電話で『一緒に乗りたかった?』って聞くと、『うん、乗りたかった』って。『なんでもっと早く言わないんだ〜(笑)』って笑って返しましたけどね。

 この春、岩田望来くんがデビューした日、阪神競馬場に見に行ったんです。小さい頃を知っているんで不思議な感覚だったのと、勝負の世界だけど『とにかく無事に回ってきてくれ』って思いで見ていました。怪我さえしなければ次のチャンスはすぐにあります。でも、怪我をしちゃうとチャンスの大きさも減るし、時間も遠くなりますから」

 幼少期を知っている彼のことを親心で見守っていたのでしょう。

「2000勝がんばれ!」と奮起してくれていた父は亡くなってしまいましたが、今は「子供に技術は教えられませんが、1鞍乗せてもらうことがいかに大変なのかってことは分かってほしいなって思います」と“父の顔”を見せます。

 7月31日には園田競馬場で調教師合格セレモニーが開かれ、その日が騎手として最後の日となります。翌8月1日付で調教師免許が交付されますが、開業時期は未定。

「騎手でトップをとったことがないので、トップの景色を見てみたいですね。目標は高く、現実は低く!(笑)」と永島騎手。

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▲永島騎手は調教師への抱負として『騎手でトップをとったことがないので、トップの景色を見てみたいですね』と語った

 調教師としてのこれからはジェットコースターではなく、順調に安定して勝ち星を挙げられることを願っています。

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大恵陽子

競馬リポーター。競馬番組のほか、UMAJOセミナー講師やイベントMCも務める。『優駿』『週刊競馬ブック』『Club JRA-Net CAFEブログ』などを執筆。小学5年生からJRAと地方競馬の二刀流。神戸市出身、ホームグラウンドは阪神・園田・栗東。特技は寝ることと馬名しりとり。

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