ディープ追悼特番と札幌記念

2019年08月22日(木) 12:00

 先週の金曜日、NHKの報道番組「北海道クローズアップ」の「ディープインパクトが教えてくれたこと」にゲスト出演した。25分の番組で、私が出たスタジオ部分は生放送だった。司会の野村優夫アナウンサーと私がやり取りする2つのパートがそれぞれ4分と3分ほどしかなかったので難しかったが、野村さんが上手くリードしてくれたおかげで、伝えたいことをどうにかしゃべり切ることができた。

 放送終了後、社台スタリオンステーションの徳武英介さんからショートメッセージが届いた。

「彼を失い、色々な悩みも島田さんの言葉で少し晴れました」

 その一文を見て、出てよかった、と思った。

 徳武さんとは、その前週札幌競馬場で会い、ディープとキングカメハメハの最期について話を聞いていた。

 私たちファンにとっては、ディープは(もちろんキンカメも)手の届かないところにいるスーパースターで、夢や思いを仮託する対象であり、自分たちにはできないことをやってくれるヒーローにほかならなかった。

 ディープが見せてくれたすごいレースや、ディープが与えてくれた興奮や感動、そして、ディープが教えてくれたいろいろなことをひっくるめたものが「ディープインパクト」という存在なのである。

 ディープのレースの記憶や興奮、感動、そして、教えてくれたことは今も私たちの胸に残っている。ということは、ディープは天に召されても、感覚的には今も生きている、と言うことができる。

 であるから、ディープが教えてくれたことについて語るのは、けっして悲しいだけのことではない。嬉しくもあり、また、誇らしいことでもある。

 しかし、それはあくまで、ヒーローとしてのディープに憧憬の念を抱いていた私たちファンの感覚だ。「動物としてのディープインパクト」の息づかいや体温を近くで感じつづけてきた徳武さんたちの喪失感は、私たちが訃報を受け取ったときに感じた衝撃や悲しみとは別種のものだったに違いない。

 そんな徳武さんからのメッセージだけに、嬉しかった。

 日曜日の札幌記念は、GI馬が4頭、うち2頭がここから凱旋門賞に向かうという豪華メンバーだった。

 ちょうど10年前のこの時期も、私は介護帰省のため札幌の実家にいた。そして、札幌記念を取材したのだが、ここをステップに凱旋門賞に向かう予定だったブエナビスタが2着に敗れて遠征を取りやめたため、私も凱旋門賞の取材申請を取り下げることになった。

 今年はその逆で、アーモンドアイが出走しないと決まった時点で取材に行かないことを決めていたのだが、札幌の洋芝で復活勝利を挙げたブラストワンピースと、けっして適性の高くない舞台で豪快に追い込んできたフィエールマンの走りを見て、現地に行きたくなった。

 武豊騎手も今年の英国ダービーで4着になったブルームで参戦することが決まり、見どころが増えた。

 今、フランスギャロの取材申請用のページを見ると、パスポートの写真をスキャンする必要があるらしい(同じくらいのサイズの別の写真でも大丈夫かもしれないが)。手元にはないので、申請するにしても、東京の仕事場に戻ってからになりそうだ。

 話は戻るが、北海道クローズアップで司会をしているアナウンサーの野村さんは、私と高校の同級生だった高鍬亮アナウンサーと同期入社だという。年齢は野村さんのほうがいくつか若いので、高鍬君が何年か回り道をして同期になったのだろう。高校時代、高鍬君と確か1年だけ同じクラスになった。彼は軟式テニス部で、私はサッカー部だった。サバンナの沼に動物たちが集まるように、練習の前後、水飲み場でよく顔を合わせていたので、友達が多いほうではない私の数少ない友人のひとりだった。

 今、高鍬君は東京にいて、平日夕方の「首都圏ネットワーク」などに出演している。

 彼の活躍を刺激に、頑張ろうと思う。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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