「中央競馬今昔物語・ずーっとケイバトーク!」の内容を少しだけネタばらし…

2019年09月14日(土) 12:00

競馬の歩みは、日本馬の海外挑戦と連動している

 9月16日はJRA日本中央競馬会の設立記念日。今年は1954(昭和29)年の設立から65周年ということで、全国の競馬場やウインズなどでは、さまざまなイベントやキャンペーンが繰り広げられます。

 中山競馬場の「中央競馬今昔物語・ずーっとケイバトーク!」もその1つ。その名のとおり、JRA設立からの65年間を振り返るトークショーで、朝10時から夕方4時まで、3回の休憩を挟んでロングランのイベントが行われます。

 JRAの特設サイトなどを通じてご存知の方もいらっしゃると思いますが、私も鈴木淑子さんが司会される朝10時からの第1部に、岡部幸雄さん、山田雅人さんとともに出演させていいただきます。

 テーマはもちろん65年間の中央競馬史。その下調べをしていたら、この間の競馬の歩みは、日本馬の海外挑戦にほぼ連動している、ということに気がつきました。

 特設サイトの「History」を見ると、JRA設立の翌年(1955年)に「英国ジョッキークラブが日本中央競馬会の競馬国際協定加入を承認」とあります。そして、1956年に有馬記念創設。その第2回(1957年)の優勝馬ハクチカラが同年の年度代表馬に選ばれ、同馬が1958年から59年にかけてアメリカに遠征して、これが日本馬による海外挑戦の先駆けとなりました。

 つまり、JRAが設立された直後に日本馬の海外遠征が始まり、今なお新たな挑戦が続けられているわけです。

 そこで今度は、JRAのサイトにアップされている「日本馬海外遠征の記録(2019年8月22日現在)」というページを見てみました。ハクチカラの後、1960年にオンワードゼア、62年にタカマガハラ、64年にリユウフオーレル(小文字が使われなかった時代の馬名表記。リュウフォーレルと読みます)が海を渡っています。

 しかし、ここまでの4頭の遠征先はすべてアメリカ。JRA所属馬で初めてヨーロッパに遠征したのはフジノオーでした。1963年秋から65年春まで中山大障害を4連覇した名馬で、66年のグランドナショナルに出走。完走はできなかったものの、全行程のほぼ半分を走りました。これは今考えればとんでもない“快挙”だと思います。

 その後、1969年にスピードシンボリがヨーロッパの平地重賞に初挑戦。キングジョージで5着、ドーヴィル大賞典で10着、凱旋門賞で着外(11着以下。順位不明)に終わりますが、ここから、日本馬の凱旋門賞挑戦が始まりました。

 今年はディアドラが日本産馬初のイギリスG1制覇を達成。14日夜の愛チャンピオンSにアイルランドG1初勝利を目指して出走します。そして凱旋門賞には、日本馬が今までにない(?)強力な布陣で挑むことになりそうです。ひょっとしたら今年は、“節目の年”に花を添える結果がもたらされるかもしれませんよ。 あれっ、またしてもトークショーのネタばらしをしちゃいましたか?

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矢野吉彦

テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。

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