「馬第一主義」シャンティステーブル(1)2頭の元競走馬が送る第二の馬生

2020年01月21日(火) 18:00

第二のストーリー

乗馬として第二の馬生を送るポラリスことダノンフェニックス(撮影:佐々木祥恵)

額の星に魅せられて 訪れた運命の出会い

 茨城県猿島郡境町にあるシャンティステーブルには、女性オーナーからの愛情をたっぷりと受け、乗馬という第二の馬生を過ごす2頭の馬がいる。それぞれの馬のオーナー2人に共通しているのは、自分が愛馬を持つようになるとは数年前までは想像すらしていなかったということだ。そして2人とも愛馬に合った環境を求めて、預託先を幾度か変えている。そして2人と2頭が辿り着いたのが、シャンティステーブルだった。

 この2頭は奇しくも北海道安平町のノーザンファーム生まれ。1頭は競走馬名ダノンフェニックス(セン12)で、現在の馬名はポラリスだ。もう1頭は競走馬名がゴールデンクラウン(セン11)で、現在はクラウンという馬名になっている。ちなみにクラウンは、交流GIのマイルCS南部杯を含めてダート重賞5勝のゴールドティアラの6番目の産駒だ。

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こちらはクラウンことゴールデンクラウン(撮影:佐々木祥恵)

 ポラリスことダノンフェニックスのオーナーのN.Uさんは、ある日、駅で配られていた乗馬クラブのチラシを目にしたのが、乗馬を始めるきっかけだった。それが2016年の10月だから、およそ3年3か月ほど前のことだ。

「初めの2か月くらいは週1回か2回乗っていましたが、3か月目くらいからほぼ毎日通うようになって、多い時で1日3鞍乗っていました。クラブに入会して1年4か月ほどたった頃、今乗っている騎乗数から考えると、ご自分の馬をお持ちになった方がお得ですよとクラブに勧められました」

 クラブの所有する練習馬の場合、騎乗するごとに騎乗料がかかるが、自分の馬だと騎乗料は発生しない。N.Uさんの鞍数の多さに、クラブ側が自馬購入を提案してきた。

「まだ技術が伴っていないですし、無理ですとお断りしました」

 だが「将来的には自馬を持つのも良いかもしれませんね」とN.Uさんが一言付け加えたことで、クラブのスタッフは購入の可能性があると判断し、N.Uさんに折に触れて馬を買うことを勧め、外部の牧場に馬を見に行きましょうという誘いが頻繁に来るようになった。そしてついに、N.Uさんはクラブスタッフとともに、牧場へと足を運んだ。

「最初の牧場で見せてもらったのは、栗毛のとても大きな馬でした。種類は忘れてしまいましたが、多分サラブレッドではなかったと思います。私が跨ってもハエが止まったくらいにしか感じていない様子で、脚(きゃく)の合図にもビクともしないんです」

 N.Uさんが自力で動かせなかったために、その馬の購入は見送られた。クラブスタッフはその2日後に、N.Uさんを別の牧場へと誘った。

「1頭目に見せてもらった馬は、私の技術レベルにはちょうど良い感じの素直な馬でした」

 せっかく見に来たのだからと、2頭目の馬がN.Uさんの前に現れた。同行していたクラブのインストラクターがその馬に試乗した。

「小柄でしたが、走っている姿の美しさと額の星に魅せられました。私が試乗した時も、その美しい姿そのままに走ってくれました」

 気に入る馬がいるのか半信半疑だったN.Uさんだが、その美しい馬にすっかり惚れ込み、購入する決心をした。それがダノンフェニックスだった。

 ダノンフェニックスは、2008年4月13日に父ネオユニヴァース、母バシマー(母父Grand Lodge)との間に、2008年4月13日に生を受けた。バシマーの母のBella Vitessaは、ディープインパクトの母ウインドインハーヘアの半妹にあたる。新馬勝ちを含めて3勝を挙げ、準オープンまで出世している。

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2014年の春日特別をC.デムーロ騎手で勝利(C)netkeiba.com

 ダノンフェニックス自身は、2011年2月に栗東の角居勝彦厩舎からデビューし、見事初戦を勝利で飾っている。3歳時にはGIIの京都新聞杯(4番人気7着)にも出走し、その後準オープンクラスまで出世した。2016年1月の寿S(1600万下)で6着となった後に高橋康之厩舎に転厩し、前述の通り、2016年6月26日の花のみちS(1600万下・16着)を最後にターフに別れを告げた。通算38戦3勝、2着9回、3着2回と、3歳から8歳まで堅実な成績を残して、乗馬としてのセカンドキャリアへと踏み出した。そして自馬を探していたN.Uさんと運命の出会いを果たしたのだった。

 運命の出会いから1週間後の夕方、N.Uさんの通う乗馬クラブにダノンフェニックスが到着した。

「前にいた牧場からクラブまでの移動時間も短かったですし、落ち着いていました。用意された飼い葉もしっかりと食べていましたね」

 それからしばらくは新しい環境に慣れさせるのと、馬の能力がどの程度なのかを見極めるために、最初の1週間はN.Uさんではなくインストラクターが騎乗した。

「その間は、毎日馬の手入れをしていましたが、自馬を持つのは初めてですし、手入れのやり方を教えてもらいながら四苦八苦していました。おまけにこの馬はよく嘶くのです(笑)。洗い場に繋いで馬装や手入れをしている時に、隣に別の馬が入ってくるとヒヒンと声をあげて、その馬にお尻を寄せて後ろ脚で蹴ろうとするのです」

 競走馬生活が長かったせいか、洗い場という枠の中がゲートの記憶を呼び起こし、興奮するのかもしれないと想像したN.Uさんは、できるだけ洗い場の空いている時間帯に馬装や手入れをするようにした。

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オーナーのN.Uさんと対話するポラリス(撮影:佐々木祥恵)

「馬房の中でもよく嘶いていたので、私がクラブに到着すると、また鳴いていたよと他の会員の方によく言われていました」

 1週間が経過し、いよいよN.Uさんが騎乗することになった。

「乗ってはみたものの、牧場で試乗した時のようには走らなくなっていて、駈歩の合図を出しても頭を上げて、その頭を振ってイヤイヤをするようになりました。グループレッスンにも何度か参加したのですが、そこでもイヤイヤをするので、グループレッスンに参加させてもらえなくなりました」

 更には、脚にできる皮膚病にも悩まされるようになり、そのケアにも試行錯誤することとなった。

(つづく)

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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