祝・兄弟初勝利!紆余曲折を経て笑顔が咲いた白浜兄弟のストーリー

2020年03月04日(水) 18:00

「兄弟初勝利や!」――先月、ある障害レースのゴール後、検量室付近はにわかに盛り上がりました。ビッグスモーキーに騎乗した兄・白浜雄造騎手と、同馬を担当する弟・白浜昭平調教助手(栗東・清水久詞厩舎)による勝利。

 10歳上の兄に憧れて昭平助手は競馬界に入りましたが、ここに至るまでは南半球での騎手生活など紆余曲折がありました。そして「兄貴と/弟とだからやりやすい」と初コンビを組んだビッグスモーキーで待望の勝利。兄弟にまつわる“ちょっと馬ニアックな世界”を覗いてみましょう。

馬ニアックな世界

▲兄の白浜雄造騎手

馬ニアックな世界

▲弟の白浜昭平調教助手

「目の前で勝った兄貴がカッコよかった」/弟のストーリー

 2月15日、京都競馬場で行われた障害未勝利戦。ゴールまで残り200mを切って先頭に立ったビッグスモーキーは白浜騎手がグイグイと腰を入れて追い、2着に6馬身差をつけて勝ちました。

 検量室前に引き揚げてくると笑顔でガッツポーズをつくる白浜騎手。そして、担当する昭平助手も満面の笑みで人馬を迎えに行きました。

馬ニアックな世界

▲「目の前で勝った兄貴がカッコよかった」と昭平調教助手

 兄弟初勝利の瞬間でした。

「うちの厩舎の障害レースは基本的に黒岩悠騎手に任せるんですが、ビッグスモーキーは昭平が担当しているので、(白浜)雄造で、と思って。障害レースをメインに乗っているジョッキーで、兄弟コンビを組めるチャンスはなかなかないですからね」

 と、同馬を管理する清水久詞調教師の粋な計らいがありました。

馬ニアックな世界

▲ビッグスモーキーを管理する清水久詞調教師。白浜兄弟コンビへの粋な計らいがありました!

 昭平助手は「勝って帰ってきた兄貴を迎えるのは不思議な感じでした。実家が長崎で、僕が小学生の頃、家族で小倉サマージャンプの応援に行ったことがあります。兄貴がレガシーロックで勝って、引き揚げてくる時もたしかガッツポーズをしていたんです。『カッコイイな』と感じたのを思い出しました」

 10歳離れた兄弟。それゆえ、白浜騎手がJRA競馬学校に入学した時、昭平助手はまだ5歳でした。

「会ったこともあんまりなくて、僕が物心ついた頃、たまに競馬学校から電話がかかってきたんですが、緊張して『今日、なに食べたの?』くらいしか話せませんでした(笑)」(昭平助手)

 しかし、前述の小倉サマージャンプ制覇の瞬間を目の前で見るなどするうち、「僕もジョッキーになりたい」と思うようになりました。

 そうしてJRA競馬学校を受験しますが、不合格。

「高校に1年通ったんですけど、やっぱり諦めきれなくて。そんな時に『藤井勘一郎さんがオーストラリアに行っているよ』という話を誰かから聞いて、そういう道があるなら行ってみようと親にお願いしました。気持ちよく送り出してくれました」

 南半球に渡り、1年間は学校で語学と競走馬への騎乗を学び、その後、厩舎で約1年の下積みを経てオーストラリアで騎手デビューしました。

「デビューはゴールドコーストで、その後、車で5〜6時間南に行ったニューサウスウェールズ州のコフスハーバーという所で騎乗していました。そこには地方・宇都宮(廃止)でジョッキーをしていた藤本靖さんがいらして、厩舎は別でしたけど、ご飯を食べに行ったり、ちょこっとだけ一緒に住んだり、いろんなことを教わりました」

 夢にまで見たジョッキーという職業。実際にレースに乗ると「気持ち良かったです」と目を輝かせます。しかし、続いて出た言葉は厳しい現実でした。

「子供が夢見ていたのとは違って、想像以上にしんどかったです。やる前から分かっていたことなんですけど、精神的にも肉体的にもタフな人が多くて、最初はビビリながら乗っていました。オーストラリアは全員がジョッキー1本で生活できるわけじゃなくて、昼間は郵便局で働いたり、調教の騎乗料で生活している人もいました。僕はいい厩舎にお世話になって経験を積んだのですが、乗り鞍がそんなに集まらなくて、その後、ニュージーランドに行きました」

 約4年でオーストラリア14勝、ニュージーランド44勝。

「日本と一緒で、自分で減量を取るような人は2〜3年で100勝くらいします。そのくらいじゃないと…ね。自分で自分の限界が正直、分かってしまうというか。海外まで送り出してもらって、帰るに帰れないし、『何とか!』って気持ちでやっていましたが、日本で厩務員になろうと思い、帰国しました」

 23歳で帰国し、宇治田原優駿ステーブルを経て約5年前、25歳の時に清水厩舎に入りました。

兄弟初勝利のガッツポーズ、まさかの真相!?照れ隠し!?/兄の思い

 ビッグスモーキーは障害入りする時に昭平助手の元に来ました。

 3歳時は兵庫チャンピオンシップ(JpnII)で2着、芝でもすみれSで3着など平地でも活躍した馬なだけに「いい馬やなって思いました」と昭平助手。その一方で、「ガツンとハミを噛んだ時はちょっと手が付けられなくなるんです。ここを上手く乗り越えられたらって思いました」

 その思いは兄弟で一致。どうしたら掛からなくなるのか、清水調教師も交え、突破口を探っていきました。

 白浜騎手は「弟とだから喋りやすいです。レース前の追い切りではあまり馬をイレ込ませたくないので、僕は乗らないようにして、弟が乗りました。上手にやってくれています」と話します。

 障害練習は兄、コースや坂路での調教は弟と役割分担をしつつ、ビッグスモーキーが能力を発揮できる状態を目指していきました。

「障害の飛越は慎重な馬なので、レースである程度出して行っても危ない飛びをしないだろうなと信頼できます。弟がだいぶ落ち着かせてくれて、2走前からは全然掛からずにレースができるようになりました」(白浜騎手)

 障害入り2戦は障害が小さな福島と中京でしたが、3戦目の2走前に中山を経験。

「清水先生の決断で中山に行ったのですが、難しいと感じていた大きな障害をこなして2着だったことで、『これならどこに行っても大丈夫かな』と安心して京都に向かえました」(白浜騎手)

 そうして迎えた京都での1戦。飛越を難なくこなし、1着でゴールを駆け抜けたのでした。

「先頭に立つと遊ぶ面がすごくあって、直線も全くハミを取らなくて必死に追っていたのでカッコ悪かったですが、それでも6馬身離しました。余裕があって勝てているのは力のある証拠。オープンになるともう少しやりやすくなるかもしれませんね」(白浜騎手)

 そして、兄である白浜騎手にも勝利して引き揚げてきた時の思いを聞いてみました。すると……

「2着のマサハヤドリームは以前、僕が練習していた馬やったから、そっちに向かってガッツポーズをしたんです」

 えっ!!弟さんに向かってのガッツポーズじゃなかったんですか!?

「負けられないなって思っていたんです」

 弟・昭平助手も「オチまでついていますよね(笑)。『後ろ!後ろ!※』って言うから、ガクッときました。俺ちゃうんかいって(笑)」
※2着馬が引き揚げる枠場は後方にあります。

馬ニアックな世界

▲白浜雄造騎手の「後ろ!後ろ!」の瞬間

 本心なのか照れ隠しなのかは分かりませんが、ともあれ初めての兄弟勝利。長崎で暮らすご家族もとても喜ばれたといいます。

馬ニアックな世界

▲カメラマンさんより兄弟初勝利の写真をもらい、笑顔で眺めています

「この後、どれだけ成長してくれるか楽しみですね」と白浜騎手。

 昭平助手も「課題もありますが、能力もある馬なので、1戦でも長く走らせられるように先生とみんなでサポートしていきたいと思います」と話します。

 再び兄弟の笑顔が咲く日を期待して、これからのビッグスモーキーに注目したいと思います。

馬ニアックな世界

▲ビッグスモーキーと白浜兄弟に再び笑顔が咲く日を期待!

バックナンバーを見る

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

大恵陽子

競馬リポーター。競馬番組のほか、UMAJOセミナー講師やイベントMCも務める。『優駿』『週刊競馬ブック』『Club JRA-Net CAFEブログ』などを執筆。小学5年生からJRAと地方競馬の二刀流。神戸市出身、ホームグラウンドは阪神・園田・栗東。特技は寝ることと馬名しりとり。

関連情報

新着コラム

コラムを探す