「約束、果たしたよ」愛馬の最期の瞬間…長寿馬シャルロットのオーナーがみてきた引退馬の実情(3)

2020年04月07日(火) 18:00

第二のストーリー

やんちゃだったというファーストワンダー(提供:R.Oさん)


言葉は通じなくても心は通じ合える


 前回はR.Oさんが、ジャンプ、ホップ、花怜の3頭を看取った経緯を紹介したが、2006年にはR.Oさんが最初に引き取ったファーストワンダーも天に召されている。

 R.Oさんによると、ワンダーは29歳頃から腰が悪化し始め、後ろ脚の片方に力が入らない状態になった。いつ立てなくなっても不思議ではない状況にあったことから、ある程度覚悟は決めていたR.Oさんだが、それから3年間、ワンダーは生き続けた。R.Oさんにとってヤンチャで子供っぽいワンダーは、最初に引き取った馬ということもあり、特別な存在だった。そんなワンダーとR.Oさんの強い絆を感じるエピソードがある。

 ワンダーが亡くなるちょうど1か月前の4月27日の早朝、預託先のスエトシ牧場から電話があった。

「ワンダーが馬房で横たわっていて、何度もみんなで引っ張って起こそうとしても、起き上がる気力もなくなっている。もうダメかもしれない、という内容の電話でした。私は飛び起きて出かける支度をしながら『ワンダー頑張って、頑張って、すぐに行くからね』と何度も何度も心の中で叫び続けていました。

 それから10分ほどたった頃でしょうか。『今自力で立ち上がって水も飲んだから、もう大丈夫』と牧場から連絡が入りました。私の声が本当にワンダーに届いたと確信した出来事でした」

 R.Oさんは、5月27日の誕生日には必ず行くから頑張ってとワンダーに伝えていた。誕生日を祝うために、R.Oさんは5月25日から現地に入り、ワンダーとゆっくりと時間を過ごした。日付が変わって27日、32歳の誕生日を迎えたワンダーにR.Oさんは「おめでとう」と声をかけた。

「その時、ワンダーは私の顔をじっと見つめました。その表情は、僕、約束を果たしたよと言っているように見えました」

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「お誕生日おめでとう」と言葉をかけるとワンダーは顔をじっと見つめ…(提供:R.Oさん)


 ワンダーに特に変わった様子もなく、別れの時がすぐ近くまで来ているとは、その時R.Oさんは知る由もなかった。

 その日、ワンダーはいつものように放牧に出た。その時、信じられない出来事が起こった。R.Oさんの見ている前で、突然バタンと倒れたのだ。まるでピーンと張りつめていた糸が切れたかのように、ワンダーは倒れ、息絶えた。R.Oさんは涙ながらに話す。

「私に悲しい思いをさせないように、誕生日に必ず行くから頑張ってという私との約束を果たそうと、気力を振り絞って生きてくれたのだと思います」

 そして付け加えた。

「誕生日に旅立つことは、ワンダー自身が決めていたことのように思います」

 R.Oさんが最後まで面倒をみた馬は、2010年9月の花怜で4頭となった。

 花怜がいなくなって1年以上が経った2012年2月に、スエトシ牧場にキトリという馬がやって来た。1989年5月20日生まれだから、キトリが23歳(満年齢22歳)の時だ。キトリはアングロアラブで、父フクセンショウ、母トキノカイセイ、母父はフランス産のモンクールという血統で、青森県の佐々木正一さんの生産馬だ。ホコタナイスナイスという馬名で競走馬登録がされ、美浦の内藤一雄厩舎の管理馬となった記録は残っているが、JBIS・Searchで調べても競走成績が残っていないところをみると、1度も走ることなく引退したようだ。

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栗毛の牝馬キトリ(提供:R.Oさん)


 健康手帳(正式名称:馬の検査、注射、薬浴、投薬証明手帳)によると、関東圏の乗馬クラブでオーナー付きの乗馬として過ごしたのち、前述した通り2012年2月にスエトシ牧場へと移動してきた。前のクラブでのオーナーが手放したと思われる。

「キトリはスエトシに来た時には腰がフラフラしていました」

 乗馬にも使えない、オーナーがいるわけではないキトリは、処分される寸前と言っても良かった。キトリを見捨てることができなかったR.Oさんは、6頭目の愛馬として引き取った。

 実はキトリと同じ馬運車に揺られて、スエトシ牧場に移動してきた馬がいる。それがバジルという馬だった。競走馬名パリスケイワンと言えば、重賞に何度も出走した経験の持つ馬だから、ピンと来る方もおられるだろう。そのバジルことパリスケイワンは、1991年3月1日に北海道浦河町の日の出牧場で生まれた。父ラシアンルーブル、母リイフォークイン、母父リィフォーで、半弟にはオープン特別2勝(淀単距離S、ギャラクシーS)のセンタームービングがいるという血統だ。

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現役時代はパリスケイワンという名前だったバジル(提供:R.Oさん)


 1993年8月にデビューして、1997年9月の初風S(1600万下)8着が最後のレースとなった。通算34戦4勝。これがパリスケイワンの生涯成績だ。健康手帳の記録によると、競走馬引退後は、某大学馬術部に在籍。1999年頃から千葉県のマザー牧場で乗馬となった。netkeiba掲示板にも、マザー牧場でパリスケイワンに乗ったというコメントが残されているように、牧場を訪れた人向けの乗馬として活躍していたようだ。そして前述の通り、2012年2月にパリスケイワンは、スエトシ牧場に来たのだった。この馬もまた縁があったのか、R.Oさんと深く関わりを持つこととなった。

(つづく)
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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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