偉大な父と初めての乾杯、オオエライジンでの一杯、たった5分のバスでの祝杯。ジョッキーの「勝利の美酒」

2020年07月07日(火) 18:00

「勝利の美酒」という言い回しは、勝負に勝つことで得られる名誉などの意味がありますが、ジョッキーたちは嬉しい勝利の後、誰とどんな祝杯をあげたのでしょうか。父の看板を背負い続けた息子が初めて父を誘った夜の乾杯、地元のスターホースと大井で手にしたタイトルと祝勝会、大一番でのテン乗りで結果を残し、帰路で仲間たちとつかの間の祝杯など、園田・姫路競馬のジョッキーたちは思い出を話します。

悩み、苦しんだ末に手にした1勝だからこそ、格別なものとなった「勝利の美酒」。お酒にまつわる「ちょっと馬ニアックな世界」を覗いてみましょう。

田中学騎手 初めて父・道夫師を誘った夜

「うちは変わった親子なんですよ」

 親子二代でリーディングジョッキーの田中学騎手は少し照れ臭そうにそう話しました。

馬ニアックな世界

▲田中騎手は父・道夫さんとのエピソードを披露してくれました

 田中騎手の父は騎手時代、「園田の帝王」と呼ばれ、地元リーディングに14年連続で輝いた田中道夫調教師。デビュー前から「帝王の息子」という看板を背負い、大きな重圧や周囲の厳しい目があったことは想像に難くありません。

 実際、道夫師の現役時代の勝負服を受け継いだ時には

「とにかく、あの勝負服が重たくて……当時はお客さんからのヤジもすごかったですし、関係者からの声もいろいろありました」と振り返るほど。

 しかし、そんな状況を乗り越え、田中騎手は2007年、初めて地元リーディングに輝きました。

 田中騎手の心に残る「美酒」はその直後。

「僕から誘って、先生(父・道夫師)と初めて二人で飲みに行ったんです」

 それまでは厩舎のみんなと一緒にご飯に行くことはあっても、二人きりは初。

「リーディングを獲って僕の一区切りだったので、誘えるかなと思って。『ちょっとご飯行こうよ』と言うと、『おぉ、そうか』という返事で、居酒屋さんに行きました。そこでの一言目が『とりあえず、おめでとう!』で、その言葉で乾杯しました。その後は何を喋ったのかはあんまり覚えていないですけど、仕事に関しては喋らないですし、普通の話だったと思います。でもね、たしか二人ともいい調子に酔いました(笑)」

 地元リーディングを掴み取り、「帝王の息子」から「田中学」へと自身の存在を確立していった田中騎手。面と向かって息子を褒めることはない道夫師ですが、田中騎手の活躍にはきっと嬉しさでいっぱいなことでしょう。

「JRAで若駒Sをダイトクヒテンで勝った時も、帰りの車に乗る何気ない瞬間に『おぅ、握手してなかったな』って握手するような親子です(笑)。父親が違う業界だったら、リーディングを獲ったり大レースを勝ったらすごく喜んでくれるとは思うんですけど、うちの先生も僕がJRAや他地区に遠征するとレースを見てくれているみたいで、お世話になった調教師に頭を下げてくれているようです。そういったことは僕には全然見せないですけどね」

 幼い頃から父の背中を見て育ち、「園田で父親と乗りたいって夢があった」と地元で騎手を志した田中騎手。

「レースに勝った後のお酒で言えば、兵庫ダービーをユキノアラシで勝った後、厩務員さんとの祝勝会で居酒屋さんの台所が大雨でビチャビチャになって、酔っ払いながらバケツリレーした面白い思い出もありますけど、初めてリーディングを獲った後に先生と初めて二人で飲んだことは今も心に残っています」

木村健 元騎手(現調教師) 忘れられぬオオエライジンと大井の夜

 ショウリュウムーンに騎乗し2010年チューリップ賞制覇や、タガノジンガロで2014年かきつばた記念制覇など、数々のタイトルをジョッキー時代に手にした木村健 元騎手。2018年に調教師に転向しましたが、いまでも「園田といえばキムタケ」と言われるほど一時代を築きました。

 そんな木村元騎手が一番思い出に残る勝利に挙げたのは園田競馬場でデビューしたオオエライジンと大井に遠征した黒潮盃。勝利に至るまでの過程も含めて、忘れられない1勝でした。

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▲木村調教師は名馬オオエライジンと橋本忠明調教師補佐(現調教師)とのエピソード

「脚元がそんなに強くない馬だったので、担当の橋本忠明調教師補佐(現調教師)といつも『追い切りのタイム、どれくらいでいく?』とか相談していました。彼とはずっと仲が良くて、オオエライジンが走るたびに『反省会をしよう』と、勝っても反省会をしていました」

 お互いに「タケちゃん」「たーくん」と呼び合う仲の二人。厚い信頼で結ばれた二人は力を合わせ、オオエライジンの素質を引き出していきました。

「兵庫ダービー(園田)は前哨戦を叩かずに直行で、順調じゃなかったんですよね。一方で、ホクセツサンデーは兵庫二冠目の兵庫チャンピオンシップで2着。僕、両方の調教に乗っていたんです。ダービーでどっちに乗りたいかって言われたら、ホクセツサンデーかなって思うくらいあの馬は順調にきていました。でも、終わってみたらオオエライジンが7馬身差で、しかもあり得んくらいのタイムを叩き出して。たーくんの仕上げがすごかったですし、めちゃめちゃ強いっていうのが証明されましたよね」

 デビューから無敗で、かつレースレコードで地元のダービー馬に輝いたオオエライジン。兵庫代表として次に目指したのは大井競馬場での重賞・黒潮盃でした。

「元々、物見したり、ゴールしてすぐに止まったりする馬が初めてのナイター。返し馬で馬場をちゃんと見せようと思ったんですが、照明にビビって、返し馬で1周回ることができなかったんです。『大丈夫かな?』とレース前は思ったんですが、強豪が揃う大井で勝つことができました。勝った後に、たーくんと握手したのが、もぉ何とも言えないですよね」

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▲オオエライジンで大井の黒潮盃を勝利

 馬上の木村元騎手と橋本調教師補佐がグッと熱い握手を交わした写真は、のちにカレンダーにもなりました。

 忘れられぬ勝利となった黒潮盃の祝勝会が木村騎手の「勝利の美酒」。

「園田に帰ってきてから、祝勝会をしました。(橋本)忠男先生(引退)もすっごい喜んでね。あの時、握手を交わした僕たちはともに調教師になって、あの写真がいまじゃ嘘みたいに太ってしまいましたけど(笑)。こないだもね、たーくんと話していたんですよ。『やっぱり調教師になったら、オオエライジンみたいな馬を探したいな』って」

 黒潮盃の後に味わった「勝利の美酒」は調教師となったいま、未来のスターホース探しの原動力となっています。

中田貴士騎手 大一番を任されての勝利、帰りの車中でつかの間の喜び

 今年6月の重賞・六甲盃(園田)。

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▲中田騎手は先日の六甲盃後のバス車内で…

 中田貴士騎手はいつもとは違う緊張感を持っていました。それもそのはず、南関東から遠征の有力馬・アッキーの手綱を任されたからでした。

 半妹・マッシロが兵庫在籍時に主戦を務めており、「この姉妹を知るジョッキーに」と中田騎手に白羽の矢が立ったのでした。

「騎乗依頼をいただけたのも嬉しかったですし、オーナーから『あと数戦したら繁殖に上がる』と聞いていたので、なんとかそれまでにタイトルを、という思いもありました。状態もすごくいいとも聞いていました。ガチガチになることはなくて、やることは一つ。この馬の持ち味が一番生かせられるようにスタートだけ、と思っていました」

 好スタートを決めると、先手を奪いマイペースに持ち込みました。1周目向正面でエイシンニシパが並びかけてくるシーンもありましたが、ペースを上げて対応すると、リードを保ったまま直線へ。

「ターフビジョンを見て、勝てると確信しました」

 タガノゴールドやエイシンニシパといった地元強豪牡馬を相手に堂々と勝利を飾りました。

 当時は無観客競馬まっただ中で、大一番の依頼をくださったオーナーとの口取り撮影は叶いませんでしたが、オーナーの奥様の名前が付けられた「アッキー」にとっては重賞初制覇。33歳の中田騎手にとっても3つめのタイトルでした。

「勝利の美酒」はこの直後。園田競馬場から約1時間の西脇トレセンに帰る送迎バスの中でした。

「西脇所属のジョッキーが重賞を勝つと、帰りのバスでみんなで乾杯するのが恒例なんです。アッキーで勝った時も、缶ビールや、お酒を飲めない人はジュースで乾杯しました。このひと口目がとにかく美味しいんですよね!」

 普段は乾杯の音頭を大柿一真騎手が取るようなのですが、ちょうどこの日は大柿騎手が笠松に遠征で不在。(なんと、大柿騎手も笠松で久しぶりの重賞制覇を果たしていました!)

「(鴨宮)祥行が音頭を取るって言っていたんですけど、気づいたら前列に座っている(竹村)達也さんが乾杯していました(苦笑)」

 園田と西脇、それぞれの所属ごとに特に仲のいいジョッキーたち。つい数時間前まではライバルだったのが、一歩競馬から離れると一緒にお祝いをする姿に絆の深さを感じます。

「でも、別に競馬の話をすることはありません。盛り上がるのも乾杯して5分くらいだけ(笑)。その一瞬がいいんです。その後は基本的には喋らなくて、本を読んだり寝たり、普段の各々の過ごし方に戻ります」

 たった5分弱の「勝利の美酒」でしたが、コロナ禍で外出自粛のいま、唯一の祝杯の瞬間でもありました。

「何かあってはいけないので、外食自体していません。自宅で一人で飲んだりとか、いつもと変わらないですね。でも去年、チャービルとのじぎく賞で地元重賞初制覇を果たした時もそうでしたが、こうして帰りの車中で乾杯をしたことはいい思い出です。あの一瞬を楽しむのがおもしろいです」

 もちろん送迎バスでは座席の間隔を空けたり換気をするなど新型コロナウイルス感染症対策を行っています。

 思うように外出ができないいま、喜びを分かち合えるほんのひとときが明日に向けてパワーを与えてくれますね。

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大恵陽子

競馬リポーター。競馬番組のほか、UMAJOセミナー講師やイベントMCも務める。『優駿』『週刊競馬ブック』『Club JRA-Net CAFEブログ』などを執筆。小学5年生からJRAと地方競馬の二刀流。神戸市出身、ホームグラウンドは阪神・園田・栗東。特技は寝ることと馬名しりとり。

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