不慮の事故で全盲に―光を失った元競走馬“バンダムテスコ”(1)

2020年09月01日(火) 18:02

第二のストーリー

全盲の元競走馬、バンダムテスコ(撮影:佐々木祥恵)

例え全盲でも…第二の馬生で輝ける可能性はあるはず

 調教中の事故により、視力を失った馬がいる。その馬の名はバンダムテスコ。1度も競馬場で走ることなく、競走馬登録が抹消された。命を繋ぎたい。大竹正博調教師はバンダムテスコの生きる道を模索した結果、最終的に認定NPO法人引退馬協会の所有馬になり、フォスターホースとして里親会員(フォスターペアレント)を募ることとなった。

 バンダムテスコの預託先は、茨城県牛久市奥原にあるヒポクリニック。ここは知的障害を持つ子供たちを対象として放課後デイサービス等を行っている一般社団法人ヒポトピアとともに活動している子供向け乗馬クラブだ。ヒポクリニック代表でヒポトピアの理事長でもある小泉弓子さんは、青森県の北里大学の獣医学部で学んでいる時に、当時三本木農業高校馬術部にいた全盲のタカラコスモスという馬もいて、試合会場でもよく一緒になった。また1度、跨った経験もあり、目が見えない馬についてイメージできるというのも、ヒポクリニックに預託が決まった一因ともなったようだ。

 小泉さんはタカラコスモスに乗った時の感想をこう振り返った。

「私の馬上でのバランス、こちらの一挙手一投足や扶助に対して馬がすごく反応して、人間を頼りにしているというのが手に取るようにわかりました。人馬一体というのとはまた違うのですけど、普段乗っている馬とはちょっと違う感覚なんですよね。まさに本や映画のタイトル通り(※タカラコスモスの物語は「私、コスモの目になる!」という題名で書籍化され、さらには映画化もされている)人間がタカラコスモスの目なんだなというのが本当によくわかりました」

 例え全盲でも、人を乗せることができて、試合にも出場できる。タカラコスモスに接した経験から、光を失ったバンダムテスコにも可能性はたくさんある。小泉さんはそう感じていたのかもしれない。
 
 バンダムテスコは、2017年4月4日に北海道浦河町のバンダム牧場で生まれた。父はフェノーメノ、母ヴェリタラブ。その父はジャングルポケットという血統で、2017年4月4日生まれだから現在3歳とまだ若い。テスコは、噛む、蹴る、暴れるとかなりのヤンチャもので、早々に去勢されている。その気性が災いしてか、調教中に暴れて転倒した際に頭部を打つという事故が起こり、それが原因で視力を失うことになる。そして競走馬の道は断たれてしまったのだった。だが目が見えないことにより、テスコは人を頼るようになっていた。

第二のストーリー

ヒポクリニックに移動してきた日。初めての場所なのでメンコを着用している(撮影:佐々木祥恵)

 ヒポクリニックに移動する前は、放牧先でもあった育成牧場でしばらくの時間を過ごしていたテスコ。小泉さんはその間、2度会いに行っている。

「最初に見た時の印象は、引き馬中に少し立ち上がるような素振りをしたり、少しピリッとした感じは伝わってはきましたけど、大人しかったですね。基本的には人を信頼して頼っているのは、はじめからわかりました。その時の担当の方にすごくよくなついていて、その人をとても頼りにしているように見えました」(小泉さん)

 現在は小泉さんとスタッフの貝塚秀樹さんがテスコの世話や運動をさせたりしているが、ヒポクリニックに来た当初は貝塚さんがもっぱらテスコの世話係として愛情を注いでいた。その貝塚さんも最初にテスコに会ったのは、育成牧場だった。

「目が見えなくなったからかわからないですけど、少し臆病なところはあるように思いました。その時、複数の人に囲まれていたのもあって、ボーッとしているというより、音のする方を気にしてキョロキョロしていましたね。全盲ということで少し心配はありましたけど、育成牧場でも段々落ち着いてきたのかなという印象はありました」(貝塚さん)

 貝塚さんは筑波大学馬術部出身で、大学院生時代にヒポクリニックのボランティアとして活動し、卒業後は馬の温泉として知られている福島県いわき市にあるJRAの競走馬リハビリテーションセンターの研修生として屈腱炎や骨折などケガで療養している馬たちの世話を約1年間担当。経験を積んで今年の4月にヒポトピアの正式なスタッフとして戻ってきたのだった。それに合わせるかのように4月17日にやって来たのが、バンダムテスコだったというわけだ。

「最初の頃は環境に慣れていないなというのは1週間くらいありました。まあそれは目が見えないからというよりは、一般的な馬と同じかもしれません。それでも来た時から食欲は旺盛で、食べるのも速かったですね。餌の時間になると、ソワソワして馬房の中をグルグルグルグル回って、それは今も変わらずですね。餌の時には、わかるように声をかけて音を大きめに出して1口目を食べやすいように心がけています。彼にとって、ご飯の時間が最大の楽しみみたいですね(笑)」(貝塚さん)

 実はバンダムテスコがいたヒポクリニックに、私自身が引き取ったキリシマノホシを置かせてもらっていたので、テスコの様子はずっと見ていた。気がつくと馬房でちゃんと落ち着いており、どこに壁があって、どこに窓があって、どこに水桶があるのかをちゃんと把握していた。その話を貝塚さんにすると、

「それは丸馬場でも同じです。丸馬場に放つと、最初に真ん中あたりに行って、そこからグルグルグルグル回りながら、頭を振るような感じで探るように歩くんです。そして頭が軽く壁にぶつかると、ここは壁なんだと理解する感じですね」(貝塚さん)

■丸馬場をグルグルまわるバンダムテスコ(提供:ヒポクリニック)

 多分、馬房の中でも自ら探って壁の位置や広さを、体と感覚で掴んでいったのだろう。キリシマノホシが北海道に移動するまでの約3か月間、テスコを観察しながら馬の適応力の高さに感心したのだった。

(つづく)


▽ 認定NPO法人引退馬協会 HP https://rha.or.jp/index.html

▽ 認定NPO法人引退馬協会 バンダムテスコのページ

https://rha.or.jp/f/bandam_tesco.html

▽ ヒポクリニック Facebook

https://www.facebook.com/2013hippo/

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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