2020年09月26日(土) 12:00
コントレイルが神戸新聞杯に出てきてくれたおかげで、久々に(?)データネタを書くことができました。今回のテーマは、「2冠馬のダービー後は?」です。
東京優駿大競走(日本ダービー)が1932年、京都農林省賞典4歳呼馬競走(菊花賞)が1938年、横浜農林省賞典4歳呼馬競走(皐月賞)が1939年に創設され、今に至る3冠レースの体系が整いました。
以来、皐月賞+ダービーの2冠を制した馬は、今年のコントレイルを含め24頭“誕生”しています。それじゃぁ、去年以前の2冠馬は、ダービー制覇後にどういう成績を残していたでしょうか?
まず、23頭のうち、2冠制覇後に死亡、引退した馬と、その年はレースに出なかった馬が5頭います。さらに、それ以外の18頭の中に菊花賞不出走馬が3頭いるので、ここではそれも除外。残る15頭について調べてみることにしました。
15頭のうち14頭が、ダービー後は休養し、9、10月のレースから始動しています。唯一の例外は2003年のネオユニヴァース。ダービー後は宝塚記念に出走(4着)し、中3カ月で神戸新聞杯3着、中3週で菊花賞3着という成績を残しました。
1960年代までは、9、10月に2戦以上して菊花賞に向かうのが“常識”だったようです。初代3冠馬(1941年)のセントライトは、9月27日から10月12日まで横浜、同18日に京都で走り、3、1、1、2着になった後、“5連闘”で同26日の菊花賞に出て優勝。2代目(1964年)のシンザンは10月10日オープン2着、11月1日京都杯2着の後、11月15日の菊花賞を制しています。
秋のレースを1戦だけ走ってから菊花賞に向かい、見事3冠を制した最初の馬は、1983年のミスターシービー。同馬は10月23日の京都新聞杯で実戦復帰、カツラギエースの4着に敗れたものの、次戦11月13日の菊花賞に勝って、史上3頭目の3冠馬となりました。
これ以降、このローテーションが“王道”に。翌84年のシンボリルドルフはセントライト記念(レコード勝ち)、94年のナリタブライアンは京都新聞杯(スターマンの2着)、2005年のディープインパクトと11年のオルフェーヴルは神戸新聞杯(ともに1着) をひと叩きして菊花賞へ臨んでいました。つまり、このパターンの3冠馬が5頭いるわけです。
一方で、92年のミホノブルボンは京都新聞杯1着→菊花賞2着(1着ライスシャワー)、06年のメイショウサムソンは神戸新聞杯2着(1着ドリームパスポート=皐月賞2着、ダービー3着だった馬)→菊花賞4着(1着ソングオブウインド=神戸新聞杯3着)と、2冠にとどまった馬も2頭います。
メイショウサムソンが走った神戸新聞杯は中京で行われました。そう、今年はその時と同じ開催日程なんですよね。アッ、いや、コントレイルの足を引っ張ろうとしているわけじゃありませんよ。誤解されませんように!
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矢野吉彦
テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。
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