2020年10月06日(火) 18:00
繁殖引退後、Y.Hさんの愛馬となったポジー(提供:Y.Hさん)
1995年9月に函館のUHB杯で優勝したポジーは、10月に入って東京競馬場で行われた神無月Sでも優勝し、2連勝で臨んだのが天皇賞・秋だった。ナリタブライアンはじめ、ジェニュイン、サクラチトセオー、牝馬ではホクトベガやアイリッシュダンス、サマニベッピンら強豪が揃い、ポジーは17頭中12番人気と低評価だった。道中は12、3番手の後方から運び、直線では内から脚を伸ばした。最後はサクラチトセオー、ジェニュイン、アイルトンシンボリ、トーヨーリファール、そしてポジーと5頭が固まってゴール。外から豪快に追い込んで勝利したサクラチトセオーからわずか0秒2差の5着と大健闘。さらに34秒7と出走馬中3番目に早い上がりを記録したのだった。
「天皇賞は札幌競馬場で観戦していたのですが、直線では柵をボコボコ叩きながら応援していました(笑)。僕的には3着かなと思ったのですけどね」
続く愛知杯では、天皇賞に好走したことから1番人気に推され、Y.Hさんの期待度もかなり大きかった。しかし13頭中10着と大敗してしまい、期待していただけにY.Hさんもかなりショックを受けた。
「これはポジーが引退してかなりたってから聞いた話ですけど、実は蓄膿症があったらしく、愛知杯の時は本調子ではなかったようですね」
ポジーをはじめとする馬たちを撮影するために押せば写るカメラを購入したのも、大学に入学して北海道に来てからだった。
「競馬も含めてスポーツの試合などでは写真はプロの方しか撮影できないと思い込んでいて、カメラは持っていなかったのですが、競馬場でも写真が撮れるとわかってカメラを購入しました。残念ながらポジーが勝ったUHB杯の写真はなくて、競走馬生活最晩年のものしかないんですよね」
ちなみに東京都三鷹市出身のY.Hさんが札幌の大学を選んだのは、馬や馬産地が近いというのが理由だった。
ポジーの縁で生産の鮫川牧場とも次第に親しくなり、札幌から浦河に高速バスやJR日高線に乗って通った。
「札幌発の高速ペガサス号で浦河町荻伏のバス停で降りて、鮫川牧場にお邪魔して、また帰りはペガサス号で札幌に帰るというのをよくしていましたね」
その後もダート戦も含めて幾度か重賞にチャレンジしたが、残念ながら勝ち星を挙げることはできず、1997年7月20日の函館のUHB杯(10着)が最後のレースとなった。4歳から8歳(馬齢旧表記)の間に39戦9勝という成績を収めた。改めてその成績を振り返ると、天皇賞・秋で5着になった1995年が、ポジーにとって1番の輝いていた時期に思える。
三冠馬ナリタブライアンに先着した1995年の天皇賞・秋(ユーザー提供:カイザータコスさん)
引退したポジーは、繁殖牝馬として第二の馬生を歩み出した。Y.Hさんは繁殖となったポジーとの縁をどのように繋げていくべきか自分なりに考え、行動に移した。
「自分の馬でもないですし、まだポジーも若かったので、自分の少ない知識の中でどうしようと考えた時に、ポジーをずっと応援していてゆくゆくは引き取りたい人がいるということをアピールしようと、まず会員にもなっていたキャロットクラブに電話をしました。クラブ側は、気持ちはとても嬉しいけれど、引退した時点で既に所有権は移っているとの返事でした」
そこでY.Hさんは繁殖になったポジーのオーナーに連絡を入れて、自らの思いを伝えた。
「まだ先の話だけれど、そういう人がいるというのは覚えておきますねと仰っていただきました」
ポジーは生まれ故郷の牧場に一旦戻ったのち、別の牧場で繁殖牝馬としての生活が始まった。
初仔のラウシュニーファラとポジー(提供:Y.Hさん)
「ダンツフレームやワンダーパヒュームを生産した信岡牧場には結構長くいました」
信岡牧場では人気のあったポジーのためにファンの見学を許可したものの、予想以上に見学者が多く、牧場側がその対応に追われたこともあり、2年目からは見学を中止としている。(ポジーに関しては1年目に訪れた人のみ、連絡の上見学できた)Y.Hさんももちろん1年目に見学に訪れており、その後もポジーに会いに牧場に足を運んだ。
「万が一、他の牧場に移動になる時には教えてくださいと信岡さんにお願いしておいたら、ポジーのオーナーが変わって田端牧場さん(日高町厚賀)に移動になることを知らせてくれました」
田端牧場でも見学が許可され、牧場にたびたび通った。
「田端さんは、ポジーが繁殖を引退したら引き取りたい人がいるとオーナーにも話を通していただきました。オーナーも馬が大好きな人で、そういう人がいるならと快諾してくださいました」
2012年にポジーは最後の子を出産。Y.Hさんはポジーを譲り受け、そのまま田端牧場に預託をするという形になった。
「当時、新ひだか町に住んでいたのですが、妻の転職先に近く、そして田端牧場にもより近い場所へと転居しました。仕事終わりや出勤前に足繁く通わせていただいて、行ったら人参をあげたり、手入れをしたりしていました」
現役競走馬時代から応援し、繁殖に上がってからも追いかけ続けたポジー。12頭の産駒を出産して子育てを終えた彼女は、ついにY.Hさんの愛馬となった。
(つづく)
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佐々木祥恵
北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。
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