プリサイスエンドの娘、GSチョッパー(1)ノーザンレイクで繋がった新しい縁

2020年11月24日(火) 18:00

第二のストーリー

プリサイスエンドの娘、GSチョッパー(提供:Yさん)

愛馬の父が生きていると知って…

 引退馬を中心とした預託牧場ノーザンレイクを相方と新冠町で始めて、新たな人々との交流が始まった。まだ有名馬が1頭もいない時期に、わざわざ見学に来てくれたり、北海道の牧場に預けている愛馬に会いに来道するたび足を運ぶ方、時折発信しているtwitter経由で訪ねてくる方もいる。前回までのコラムでも紹介した、種牡馬を引退したプリサイスエンド(セン23)が、認定NPO法人引退馬協会からの預託馬として、10月20日にやって来て以来、ファンからの問い合わせや見学が一気に増えた。

 プリサイスエンド関係で最初に電話がかかってきたのは、関東圏在住のYさんという女性だった。乗馬が趣味のYさんが自馬として持っていた馬がプリサイスエンドの娘で、残念ながらその馬を腸捻転で亡くしたと。その馬の父であるプリサイスエンドが生きていることを知り、支援をしたいがどうしたら良いかとの問い合わせだった。Yさんはすぐにプリサイスエンドのために認定NPO法人引退馬協会に寄付をし、牧場にはプリサイスの大好きな人参をひと箱送ってくれた。

 Yさんとはその後も折に触れて連絡を取り合い、プリサイスの画像も送った。

 Yさんとのやり取りの中には、愛馬についても触れられていた。

「5月に永眠しましたが、大事なパートナーでした。美人さんで有名でした! 名前はGSチョッパーといいます」と記されていた。

 乗馬になってGSチョッパーという表記になったが、競走馬名はジーエスチョッパー。2008年2月23日に浦河町の桑田正己さんの牧場で生まれている。母はジリーズヘイローで、その父がSunny's Halo。母の弟に1997年の京成杯を制したスピードワールドがいるという血統だ。

 2011年5月に大井競馬場でデビュー。戸崎圭太騎手が手綱を取り、1番人気に推されていたが3着に敗れた。2戦目7着と掲示板を外したものの、3戦目は2着と初勝利まであと一歩のところまできた。だが彼女の戦績はここで終わっている。たった3戦で競馬場を去り、乗馬の道へと進んだのだった。

第二のストーリー

GSチョッパー。右側は乗馬仲間が描いてくれたという絵(提供:Yさん)

 一方Yさんは、父親とともに競馬をよく観戦していた。その時に競走馬たちの姿を見て「馬は世界一綺麗な動物」だと感じた。乗馬を始めたのは、街頭でとある乗馬クラブがポニーを連れて体験乗馬の勧誘をしていたのがきっかけだった。

「当時めちゃくちゃ仕事が忙しかったのですが、チャンスと思って体験乗馬に参加しました」

 馬上からの眺めは、それまで知っていた世界とはまるで違っていた。その体験がYさんを乗馬の世界に引き込み、クラブ入会に至った。仕事が休みのたびにクラブに通い、練習を重ねた。約2年半ほど所属したそのクラブを離れ、北関東の乗馬クラブに移った。

「そこでは障害飛越に憧れて頑張っていたのですけど、ド下手でしたし、いろいろな練習馬に騎乗するのではなくて、決まった馬に乗りたいと思いました」

そこでクラブから紹介されたのが、3歳牝馬のGSチョッパーだった。

「飛越が良くて(動きや反応が)軽く、大人しい子だったので、クラブも私に紹介してくれたのだと思います」

 Yさんは当初、競走馬名とは別の名前に替えることも視野に入れていた。だが馬名入りの馬着をオーダーした時に、そのショップの女性が大井時代のチョッパーをよく覚えていて、馬の名前を見て驚いたという出来事があった。馬名をまだ変更していなくて良かったと思ったのと同時に、他にもチョッパーを知っている人がいるかもしれないと考え、競走馬名のまま(GSの部分はローマ字表記だが)通すことにした。

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名前入りのピンクの馬着を着て…(提供:Yさん)

 最初は大人しかったチョッパーだが、Yさんと練習を続けていくうちに持ち前の気性を発揮し始めた。

「お転婆でお転婆で大変でした」

 とYさんは振り返る。

「馬が大嫌いで近くに他の馬がいると嫌がりますし、彼女にとって私が窮屈な騎乗をするとかなり大胆な尻っ跳ねをしてくれます。それで何度落馬したことか…」

 自分がイヤなことには体全体でノーと表現をする。チョッパーは、ただお転婆というわけではなく、自分の意志をしっかり持っている馬だった。

 その一方で、臆病な面もあった。

「トンボや蝶々が飛んでいたり、横木が置いてあった場所にできた轍にはビックリします。かなりケアフルでした」

 けれどもYさんが呼べば嘶いて返事をし、馬房から顔を出す可愛らしさも持ち合わせていた。チョッパーの一連の性格や行動を教えてくれたYさんは「プリサイスエンドの血を引いているところはありますか?」と問うてきた。

 私は去勢されて、大人しく穏やかな今のプリサイスエンドしか知らない。ただ種牡馬時代は噛み癖があり、気性もきつかったと伝え聞いているし、気難しい産駒が多いという話も耳にする。日高スタリオン時代は、裏戸側からのぞくと驚いてビクンとなるので、裏戸からはのぞかないようにとスタッフが注意を促していたこともあったようだ。だがプリさんと呼ぶと、毎回ではないが少しかすれた声で嘶いて返事をするし、飼い葉や乾草など食べ物に夢中な時以外は馬房から顔を出してくれる。これらのことを総合すると、娘チョッパーは、父の血を確かに受け継いでいるように感じた。

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呼ぶと振り返るプリサイスエンド(撮影:佐々木祥恵)

(つづく)

※ご寄付のお願い

プリサイスエンドの預託料や医療費等の経費は、スキャンを繋養する際に立ち上げた「次の支援基金」へ寄せられたご寄付から支払われています。(引退馬協会の所有馬ですが、現在フォスターペアレント会員の募集はありません)プリサイスエンドへのご支援は「ペガサスの翼基金」で受け付けています。

▽「ペガサスの翼基金」

https://rha.or.jp/donation.html

ページを下にスクロールすると「特定の活動に寄付をする」と表示されますので、その下の「次の馬生への支援」をご覧ください。ご寄付の際には「プリサイスエンド」あるいは「次の馬生支援」と記載してください。クレジットカードでのご寄付や、他のご寄付と一緒に送金をされる場合は「寄付金口」でも受け付けをしています。口座を分けて送金しなくてもかまいません。通信欄に「プリサイスエンド」あるいは「次の馬生支援」と記載してください。

▽認定NPO法人引退馬協会

https://rha.or.jp/index.html

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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