プリサイスエンドの娘、GSチョッパー(4)12歳で天国へ…チョッパーからの最後のプレゼント

2020年12月15日(火) 18:00

第二のストーリー

Yさんの最愛のパートナー、ジーエスチョッパー(提供:Yさん)

最後まで「いってらっしゃい」と見送って…

「私は(ジーエス)チョッパーの命を断つ決断は到底できませんでした。手術をしてくださったC先生のお弟子さんのD先生に、どうにかならないのかと何度も懇願しました。先生は私が決断できるまで5時間以上も辛抱強く待ってくださいました。その時のチョッパーはお腹の中の状態が限界にきていて、もう動くこともできずにただ泣いていました」

 安楽死すべき時が来ている。頭ではわかっていても、Yさんの気持ちがどうしてもついていかなかった。

「D先生に聴診器を貸してもらって、彼女のお腹が動いている音が聴こえないこと、心拍数が速いことを自分で確認して、安楽死の決断をしました」

 目の前には愛してやまないチョッパーがいる。腸捻転を起こして手術をして、いくつかの山を乗り越えながらも、チョッパーは限界を迎えている。その事実と向き合い、認め、チョッパーが楽になる決断をする。辛い辛い時間だった。その日はチョッパーを可愛がってくれたYさんの友人も駆け付けてくれ、一緒に見守ってくれていた。

 5月24日20時15分、Yさんの膝に顔を乗せてジーエスチョッパーはついに息を引き取り、永い眠りについた。まだ12歳だった。

「D先生にはチョッパーのお腹を解剖させてほしいと言われました。今後にも活かしてもらいたかったですし、自分でも確認をしたかったので了解しました。ただ女の子ですし、開いたお腹は綺麗に縫ってもらえるようお願いしました」

 解剖はチョッパーが息を引き取った翌日の25日。Yさんは解剖をしっかりとその目で確認し、それが終了するとチョッパーの体を綺麗に拭いて、美しかった尻尾がバラバラにならないように1つにまとめて結わいた。またチョッパーへの思いを手紙にしたためてきたYさんは、解剖を終えたお腹に手紙をしのばせた。

「手紙を天国まで持っていくことができて、寂しい思いもしなくて済むのではないかと思いました」

 準備が整ったチョッパーと、本当に最後のお別れの時が来た。

「牧場の方が、この後はチョッパーがものとして扱われるから見ない方が良いと言われたのですが、それでは頑張った彼女に失礼だと思ったので、行ってらっしゃいと見送って見届けました」

 馬は産業廃棄物の扱いとなるため、産廃処理業者が来て回収をしていくのが一般的で、廃棄物として処理をされる。Yさんはチョッパーが処理業者の車に乗るまでの様子の一部始終を気丈に見届けたのだった。※北海道日高地区には馬の火葬施設がある

第二のストーリー

チョッパーがつけていた無口にはお守りが(提供:Yさん)

チョッパーを失ってはじめて気づいたこと

 チョッパーがいたR牧場の馬房には、ジーエスチョッパーという馬名のプレートが掲げられていた。短い期間しかいなかったのにそのプレートがチョッパーが確かに存在して、生きるために闘い抜いた証のような気がして、Yさんは牧場の厚意にとても感謝している。

「チョッパーが亡くなった時も一緒に泣いてくださって、よく頑張ったと彼女を褒めてくださいました。彼女の最後がR牧場で本当に良かったです」

第二のストーリー

馬房に掲げられていた馬名プレート(提供:Yさん)

 Yさんは初七日までは、チョッパーがいた馬房をそのままにしてもらうように牧場に頼み、その足で在籍していた乗馬クラブへと足を運んだ。けれども、元気にしている馬たちや自馬会員(自分の馬を所有している会員)の姿が羨ましく、時として憎しみの感情すら湧いた。

「頭では整理できていたはずなのに、なぜチョッパーだけがという思いが強かったです。なので、チョッパーが亡くなったことを誰にも知られたくなくて、口に出せませんでした」

 初七日が過ぎてもYさんはR牧場に訪ねていくことができなかった。だが百箇日が過ぎて、ようやくR牧場に足を向けたのだった。

「百箇日の間、自分の判断ミスを悔やみ続けていました」

 その1つが、レントゲンで蟻洞とされた線を蟻洞ではないと見破った信頼できるA獣医を待てずに断ってしまったことだった。

「でも断った時には、A先生はすぐ隣の栃木県まで来ていたと後から知りました」

 腸捻転は時間との戦いだ。もしかするとA獣医に診断してもらえていれば、もっと早く手術ができたかもしれない。自分の判断ミスをYさんは今も責めている。

 またチョッパーが涙を流している場面を今回の取材を機に改めて振り返ったYさんは、安楽死の決断を下せなかった5時間は自分のエゴだったと気づかされたとも吐露している。

「オーナーの責任の中には、命の決断も含まれるものなのだと改めて認識しました」

 そしてチョッパーを失ってはじめて、彼女に支えられていたのは自分だったのだと気づいた。

「体の半分がない感覚なのです。大丈夫! 私がついているからといつもチョッパーに話しかけていたのですが、それが実は逆で彼女が私を励ましていたのです」

 実はYさん、自宅が火災にあって全てを失うという厳しい経験をしていた。そんな先が全く見えない中で出会ったのが、チョッパーだった。

「例え洋服がなくてもチョッパーがいることで、頑張れました。パートナーである彼女に、私は支えられていたのです」

第二のストーリー

7歳の誕生日に友人が描いてくれたという、いつもモデルのようなポーズで立っていたチョッパーのイラスト(提供:Yさん)

チョッパーが教えてくれたこと

 百箇日が過ぎてR牧場に行ったYさんは、これからも頑張っていくことをチョッパーの魂に報告した。そしてYさんは10月初旬に北海道へと飛んだ。

「チョッパーが乗馬を引退したら、生まれ故郷の北海道で過ごさせてあげるつもりだったのです。きっと素敵な環境でのびのび暮らせるのだろうと想像していました」

 チョッパーの生産牧場にもお礼を伝えたかったのだが、牧場がどこにあるのかよくわからず、叶わなかった。どこかにチョッパーの生まれ変わりがいるような気もしていた。旅路の途中で、立ち寄ったのが新冠町にある優駿メモリアルパークだった。そこにはチョッパーの父プリサイスエンドの写真が飾られていた。それを見たYさんは、驚き涙がこぼれた。Yさんはパークのスタッフにプリサイスエンドの所在を尋ねたが、移動したと教えられた。

「それを聞いて生きているんだと嬉しくなって、久しぶりに幸せな感覚を味わいました」

 北海道からの帰途、プリサイスエンドの居所を調べているうちに、認定NPO法人引退馬協会と現在の繋養先であるノーザンレイクに辿り着いた。

「プリサイスがとても身近に感じて、まるで自分の馬のようで(笑)。今回のコラムを読んだ友人からも、プリサイスとの出会いはチョッパーからのプレゼントではないかというラインをもらって、そうかもしれないと思いました。と同時にプリサイスを通じて、引退馬の厳しい現実や、その中でも1頭でも救おうと力を尽くして頑張っている人がいる事実を知りました」

 チョッパーは、その父プリサイスエンドの存在と競馬や種牡馬などが引退した後の厳しい現実を、Yさんに教えてくれたことになる。

 チョッパーが天国へと旅立って、間もなく7か月が経とうとしている。

第二のストーリー

「ずっとそばにいるよ?」(提供:Yさん)

「最終的にはすべてオーナーの責任です。彼女が疝痛になる前に環境の良いクラブに移動もできたはずですし、自分自身疝痛を詳しく勉強しておかなかったのも、信頼しているA獣医を待たなかったのもすべてオーナーである私の責任です。今全てを悔やんでいます」

 だからこそYさんは、優駿メモリアルパークで偶然知ったチョッパーの父プリサイスエンドの余生が穏やかであるようにと願う気持ちが強いのだろう。

 そしてYさんは最後にこう締めくくった。 

「もしいつの日かチョッパーの生まれ変わりに出会ってパートナーとなることができたなら、今度こそきちんと馬生を全うさせてあげたいです」

(了)

※ご寄付のお願い

プリサイスエンドの預託料や医療費等の経費は、スキャンを繋養する際に立ち上げた「次の支援基金」へ寄せられたご寄付から支払われています。(引退馬協会の所有馬ですが、現在フォスターペアレント会員の募集はありません)プリサイスエンドへのご支援は「ペガサスの翼基金」で受け付けています。

▽「ペガサスの翼基金」

https://rha.or.jp/donation.html

ページを下にスクロールすると「特定の活動に寄付をする」と表示されますので、その下の「次の馬生への支援」をご覧ください。ご寄付の際には「プリサイスエンド」あるいは「次の馬生支援」と記載してください。クレジットカードでのご寄付や、他のご寄付と一緒に送金をされる場合は「寄付金口」でも受け付けをしています。口座を分けて送金しなくてもかまいません。通信欄に「プリサイスエンド」あるいは「次の馬生支援」と記載してください。

▽認定NPO法人引退馬協会

https://rha.or.jp/index.html

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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