【角居勝彦物語】「思い浮かぶのはシャケトラ 20年調教師をやってきて悟ったこと」/第3回

2021年02月15日(月) 18:02

角居調教師引退特集

▲「後悔が残りましたね」明かされるシャケトラへの思い (撮影:桂伸也)

今月いっぱいで引退を迎える角居調教師の活躍をたどる特集。第一部の『角居勝彦物語』では、“角居勝彦”その人に焦点を当て、ホースマンとしての半生を振り返り、リアルな人物像とトップトレーナーたる思考に迫っていきます。

後の“調教師・角居勝彦”の生みの親である、松田国英調教師の元へ移籍。半ば嫌々(?)受け始めた調教師試験でしたが、猛勉強の末、3回目の受験で見事合格しました。ついに調教師としての人生がスタート。しかし、それは同時に「競走馬というのは、ほぼほぼ思ったようには作れないんだな」と、思い悩む日々の始まりでもありました。

(取材・文=不破由妃子)

※この取材はテレビ電話で実施しました。

【第一部】名トレーナー誕生秘話『角居勝彦物語』(2/11〜2/16)

【第二部】関係者たちが証言“角居勝彦のスゴさ”(2/17〜2/24)

【第三部】引退直前、角居調教師からのラストメッセージ(2/25〜2/26)

キャロットクラブのリニューアル

 角居厩舎が誕生した2001年、遠く離れた北海道でポップロック、ハットトリック、デルタブルースらが誕生。彼らが角居厩舎の一員となるのはもう少し先だが、その間も2002年にデビューしたブルーイレヴンが東京スポーツ杯2歳Sで厩舎に初めての重賞タイトルをもたらすなど、トップステーブルへと続く道に確かな轍を刻んでいた。

 角居いわく、ブルーイレヴンは「厩舎の原点」。指揮官としては苦い思い出かもしれないが、3歳初戦の京成杯で見せた、中継画面に収まりきらないほどの大暴走が懐かしい。

 2001年という年は、角居厩舎にとってはもちろん、競馬界全体にとってもエポックメイキングな年であった。それまで出口牧場、グリーンヒルスタッドのほか、外国産馬が中心だったキャロットクラブの経営にフジサンケイグループが参加。同時にノーザンファーム生産馬が募集馬の中心になるなど、キャロットが大きく様変わりしたのだ。

「当時はまだサンデーサイレンス産駒が少し残っていた時代で、みんな社台レーシングホースやサンデーレーシングの馬を預かりたいと思っていましたけど、当然ながら、新人調教師にはなかなか回ってこない。そんなときに、キャロットクラブがリニューアルしたんです。

 本当にたまたまですが、そういうタイミングで僕は調教師になった。新人でしたが、期待された馬を何頭もやらせてもらい、ハットトリックやシーザリオが活躍してくれたおかげで、厩舎として二段も三段もステップアップできました。その流れがなかったら、本当にどうなっていたか…。つくづくタイミングがいい奴だなぁと自分でも思いますね」

 2003年から2004年にかけて、冒頭で触れた2001年生まれの原石たちが続々とデビュー。2004年にはデルタブルースが菊花賞を制し、角居は開業4年目にしてGIトレーナーの仲間入りを果たした。そして、角居厩舎のポテンシャルが一気に爆発したのが2005年。オークス(シーザリオ)、マイルCS(ハットトリック)、ジャパンCダート(カネヒキリ)と3つのGIを含む重賞9勝を挙げ、JRA賞最多賞金獲得調教師に輝いた。

角居調教師引退特集

▲日米オークスを制したシーザリオ (撮影:下野雄規)

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▲O.ペリエ騎手の手綱でマイルCSを制したハットトリック (C)netkeiba.com

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▲砂のディープインパクトとも称されたカネヒキリ (撮影:下野雄規)

 そして、翌年の10月にデビューしたのがウオッカだ。衝撃のダービー制覇を筆頭に、約3年半の現役生活のなかでGIを7勝。角居厩舎の地位を不動のものとした最高傑作であり、角居が「一番勉強をさせてもらった」と振り返る、物語には欠かせない1頭である。

「牝馬でダービーにエントリーするということ自体、当時の僕にとっては勉強でした。なにしろ、ダービーのことをよくわからないままチャレンジしましたからね」

「よくわからない? 先生が?」。思わず耳を疑い、とっさにそう言葉が出た。

「ダービーに挑戦するとなったとき、“そういえば、牝馬ってあんまりエントリーしないんだな”と思って。周りは当然、『今頃気づいたのか』みたいな感じでしたけど(笑)。たくさん大きなレースを勝ってくれた馬ですが、浮き沈みが激しかったこともあって、いろんなことに気づかせてくれましたね。

 クラブの馬であれば、状態が落ちれば牧場に帰して立て直してもらうことができましたけど、ウオッカはずっと厩舎にいたので、状態が下がったとしても自分の厩舎のなかで立て直さなければいけなかったんです。自分の厩舎でやらせてもらえる安心感や喜びももちろんありましたが、一度崩れたリズムを厩舎のなかで立て直すのは容易ではなかった。リズム合わせというか、波動合わせというか、波を合わせていく作業というものが調教師には必要なんだと気づきました」

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▲「一番勉強をさせてもらった」角居厩舎の最高傑作、ウオッカ (撮影:下野雄規)

「あと20年調教師を続けても、きっとわからない」

 ウオッカがヴィクトリアマイル、安田記念、ジャパンCと、3つのGIを制した2009年、角居は初めてJRA賞優秀技術調教師を受賞(勝率、1馬房あたりの勝利度数、獲得賞金、出走回数の総得点で決定)。以降、2010年、2011年、2013年、2014年にも受賞しており、同賞の5回の受賞歴は藤沢和雄の9回に次ぐ。最多賞金獲得調教師も5回、最多勝利調教師も3回。海外5勝は全調教師中トップであり、こうして改めて功績を振り返ると、角居が競馬界を去ることの大きさを痛感する。

 ここまでに名前が挙がった馬以外にも、トールポピー、ディアデラノビア、ヴィクトワールピサ、ルーラーシップ、アヴェンチュラ、エピファネイア、デニムアンドルビー、ラキシス、リオンディーズ、サンビスタ、キセキ、サートゥルナーリア、ロジャーバローズなどなど、GII、GIIIを含めたらタイトルホルダーは枚挙にいとまがない。すべての馬が角居にとっては主役であり、預かった馬の頭数だけ物語がある。

「もちろん、どの馬にも思い入れはあります。なかでも印象に残っている馬といえば、直近ではやっぱりシャケトラが…。次の天皇賞・春(2019年)では1番人気かというときに、最終追い切りで故障させてしまって(左前第一指骨粉砕骨折を発症し、予後不良に)。競走馬は、一番いい状態になりきったときが危険だという認識はあったんです。ただ、馬の状態がそこまで到達していたのかどうか、見極めが利かなかった。もっと馬を見ておくべきでした。後悔が残りましたね」

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▲1年1か月ぶりの休養明けで、AJCC、阪神大賞典と2連勝したシャケトラ (撮影:下野雄規)

 日本が誇るトップトレーナーでも見抜けないものがある。それが生き物、それが競走馬だ。そんななかで角居が見つけた、ひとつの答え。ここに競走馬の本質がある。

「20年調教師をやってきて、競走馬について悟ったことは、思うようにはいかないということ。だからといって、そこに答えはないと思っています。もともとゴールそのものがありませんからね。たとえあと20年調教師を続けても、きっとわからない。それだけはわかります(笑)」

(文中敬称略、16日公開の第4回へつづく)

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角居勝彦

1964年3月28日、石川県生まれ。JRA栗東所属の調教師。競馬学校を卒業後、中尾謙太郎厩舎及び松田国英厩舎で調教助手を務め、2001年に厩舎を開業。その後、カネヒキリ、ウオッカ、エピファネイアなど多くのGI馬を管理してきたと共に、海外競馬でもデルタブルース、シーザリオ、ヴィクトワールピサなどのGI馬を輩出。

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